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谷学発!常識と非常識 第87話
 ネオダーウイニズム(進化の総合説)に挑戦した「不均衡進化論」(その1)

1.「不均衡進化論」の誕生

現在「常識」となっている進化論はネオダーウイニズムあるいは「進化の総合説」と呼ばれ、ダーウインの進化論をベースに、メンデルやモルガン以来の遺伝学の成果や、木村資生博士の「分子進化の中立説」などを取り入れたものです。この進化論によれば、進化をもたらすDNAの突然変異は、遺伝子の種類や染色体上の場所とは無関係に一定の頻度で発生するとされ、中立的変異の数は近縁種が共通の祖先から分岐した時期を測る分子時計として使用されています。しかし、突然変異の頻度が常に一定とすると、古生代初期の短期間に種の多様性が爆発的に増大したとされる「カンブリア爆発」のような現象の説明は困難になります(常識と非常識第75話の図参照)。

元大阪市立大学助教授の古澤満博士は、“Promotion of evolution”(進化の促進)を主題とする新しい進化論の論文を1992年に“J. Theor. Biol.”(理論生物学学会誌)に発表しました1)。この「不均衡進化論」と呼ばれる進化論の詳細は後述しますが、要約すれば、「細胞が分裂する際の2本のDNA鎖の複製は半保存的であり、2本の複製DNA鎖に含まれる突然変異の数には大きな不均衡が存在する。すなわち、先行するリーディング鎖の複製では突然変異が殆ど生じないが、複製が遅れて進行するラギング鎖には、複製方法が異なること、及び工程数が極端に多いことに起因する多数の突然変異が含まれる。リーディング鎖の複製DNAを受け継いだ子孫細胞が半保存的複製を代々反復することにより、種の長期安定性が保証される。一方、突然変異が多いラギング鎖の複製DNAを受け継いだ子孫細胞も、半保存的複製を代々反復してラギング鎖に突然変異を追加し続けることで、種の革新性(進化)が担保される」という内容です。

この「不均衡進化論」の最大の特徴は、「進化の総合説」では説明が難しかった「カンブリア爆発」を、「突然変異の多発による進化の促進現象」として説明が可能な点です。

ただしこの古澤論文は、「進化の総合説」とは相容れないため、論文の提出から受理までに実に4年を要しました。しかし、論文の公表後は引用される回数が次第に増え、特に2017年にジョンズ・ホプキンズ大学のXin Chen教授らのグループが発表した“Inherent asymmetry of DNA replication.”(DNA複製の本質的非対称性)と題する総説2)には、古澤氏らの不均衡進化論に関する論文4編が引用され、肯定的に解説されています。この総説のタイトルの「DNA複製の本質的非対称性」は、まさに「不均衡進化論」の中核的コンセプトであり、古澤氏の進化論がようやく世界に受け入れられつつあることを意味しています。以下2回にわたり、この「不均衡進化論」を紹介します。

2.進化する生物と進化しない生物が存在する理由――古澤氏の思考実験

生物が進化する性質を持つことはいうまでもありませんが、その一方で生物は進化しない性質も併せ持っています。このことは原初の生命に近いと考えられる、硫化水素をエネルギー源とする嫌気性耐熱細菌が深海底の熱水噴出孔近辺に生息していること、また、約27億年前に出現した光合成細菌シアノバクテリアや、約10億年前に出現したアメーバなどの真核細胞の単細胞生物も、あるいは数億年前に出現したクラゲなどの腔腸動物、線虫などの線形動物、ミミズなどの環形動物、イカなどの軟体動物も、コケ類・シダ類などの原始的植物類も、出現したときと殆ど変わらない状態で現在に至っていることからも明らかです。

そこで古澤氏は最初に、生物が進化する性質と進化しない性質を併せ持つには、どのようなシステムが必要かを思考実験によって追求しました。この思考実験は後に「不均衡進化論」に発展することになるので、その内容と結論を以下に紹介します。

下図1~3は細菌などの単細胞生物の増殖様式を表した模式図です3)。○は細菌を表し、(0)は祖先型(野生型)の表現型(形や機能)を持つことを示します。○の中の数字が親細胞と異なる場合(赤線)は突然変異が起きて表現型が親と異なることを示します(ただし古澤氏は、○は細菌に限らず、自己複製をするものなら何でもよく、DNA・遺伝子・ウイルス・真菌類(かび・酵母など)・培養細胞・個体・種、あるいは文化的組織でも良いと書いています)3)。なお、分かり易くするため、図には家系図が第3世代(最下段の8個)までしか描かれていません。

図1は細菌が全く変異しない場合の家系図です。世代が変わっても○の中の数字は全て祖先と同じ野生型(0)です(線は全て黒線)。この家系は一見すると安定しているように見えますが、実はこの家系の存続は保証されていません。なぜなら、もしこの家系が偶然に抗生物質に接したとしますと、耐性遺伝子がない場合は全滅してしまうからです。この家系が抗生物質に遭遇しても全滅しないためには、突然変異を重ねて耐性遺伝子を持つ系統を用意しておく必要があります。

図2は細胞が分裂するたびに必ず変異するシステムです。このシステムでは、自己複製のたびに、2つの娘細胞のDNAが必ず突然変異して、両方とも親と違う表現型を持つとします(線が全て赤線)。現在生きている個体は最下段の⑦、⑧、⑨、⑩、⑪、⑫、⑬、⑭の8個体です。この図2の場合は家系が多様性に富むので、環境の変化に最大限対応できそうに見えます。しかし、この家系の存続も保証されていません。このことは、もし現在の環境が永い間変わらなかった場合を考えてみれば分かります。現在の環境に最もよく適応していた祖先型(0)やそれに近い①~⑥の子孫は三代目にはもう存在していません。つまりこの家系は世代の交代を重ねるたびに子孫の表現型が祖先型(0)から離れていく一方であり、やがて全ての子孫が元の環境に適応できなくなって全滅する可能性があります。

図3は親細胞が自己複製して2個の娘細胞になるとき、片方の子孫は必ず親と同じ表現型(0)を持ち(黒線)、もう一方は必ず突然変異して(赤線)、親と異なる表現型を持つシステムです。現存する8個の細胞の表現型は(0)、①、②、③、④、⑤、⑥、⑦と、祖先型及び祖先型に近い表現型の全て、すなわち1度出現した表現型が全部揃いながら、全体としては多様性が増大しています。このシステムは以下の2つの特徴を持ちます:1)祖先型の表現型(0)が半永久的に保存される、2)過去に一度現れた表現型は、その個体が偶然死なない限り、半永久的に保存される。

この増殖方式なら、環境が変わらなければ祖先型(0)やその近縁型が生きていけるし、環境が変わっても多数の変異型のどれかが適応して生き延びる可能性が高いと考えられます。

以上の思考実験から結論として言えることは、生物が全く変異しなくても(図1)、逆に変異しすぎても(図2)、待ち受ける運命は絶滅の可能性が高いこと、そして図3のシステムならば種の長期安定性と革新性(進化)の両立が可能になることです。古澤氏はこの図3のシステムを「元本保証の多様性創出」と名付けました。

3.「元本保証の多様性創出」の意味

「元本保証」とは祖先の表現型が半永久的に保存されることを言い、「多様性創出」とは、全体としては突然変異により多様な表現型の子孫細胞が生み出され、進化し続けることを言います。図3をよく見ると、この「元本保証の多様性創出」は、なかなか奥が深い概念であることが分かります。一見すると図3で「元本保証」されるのは一番左端の(0)→(0)→(0)→(0)(以下(0)が連続)の系統だけのように見えるかもしれません。しかし、実はそうではありません。右の(0)→①→①→①(以下①が連続)では、①が出現した後は、①が祖先となって①の系統が元本保証されています。同様に、中央の(0)→(0)→②→②(以下②が連続)では②の系統が元本保証され、(0)→①→③→③(以下③が連続)では③の系統が元本保証されます。つまり、この図3のシステムでは、出現した全ての番号の細胞が、出現したときから、それぞれが祖先になって元本保証されており、しかもシステム全体を見れば、多様性が創出され続けています。

4.生物界は「元本保証の多様性創出システム」である!

現実の生物界を図3のシステムと比較してみると、生物界がまさに図3に表現される「元本保証の多様性創出」の世界であることに驚かされます。すなわち、表現型(0)を原初の嫌気性細菌と考えれば、左端の(0)の系統はそれらが約40億年後の現在も殆どそのままの状態で生き残っていることに相当し、①の系統は約27億年前に原初の生命から進化し、今も生き残る光合成細菌のシアノバクテリアに相当し、②の系統は約10億年前に出現したアメーバ等の真核細胞の単細胞生物に相当します。以下同様に、全ての数字の生物はそれらが出現した当時の姿のまま現在に至る生物たちに相当します。すなわちこの図3は、現実の生物界が「元本保証の多様性創出」システムであることを見事に表現しています。そしてこのことは、現存する全ての生物が「元本保証の多様性創出」のシステムを維持するための、何らかのメカニズムを内蔵していることを強く示唆しています。こうして、古澤氏の次の目標は、「元本保証」と「多様性創出」という、相反する性質を両立させているメカニズムを、現存する生物中に発見することに向けられることになりました。(第88話に続く)

(馬屋原 宏)

引用文献

  • 1)Furusawa, M., and Doi, H.: Promotion of evolution: disparity in the frequency of strand-specific misreading between the lagging and leading DNA strands enhances disproportionate accumulation of mutations. J. Theor. Biol. 157, 127–133. (1992).
  • 2)J. Snedeker, M. Wooten and X. Chen. The Inherent asymmetry of DNA replication. Annu. Rev. Cell Dev. Biol. 33: 291-318 (2017). doi: 10.1146/annurev-cellbio-100616-060447
  • 3)古澤満:生物を支配する法則を探る―元本保証の多様性拡大.第5回古澤満コラム(2006)
    https://www.chitose-bio.com/furusawa_column/column05.html