提言:「フラット化する世界」と安全性評価研究会(谷学)

(株)国際医薬品臨床開発研究所
馬屋原 宏

1.はじめに

「フラット化する世界」とは、今年(2006 年)5月 24 日に日経新聞社から翻訳発行されたばかりの、米国のジャーナリスト トーマス・フリードマンによる本の題名である。
この本は上下 2 冊に分かれた大作で、原題名は“The World is Flat ― A Brief History of the Twenty-first Century ―”である。つまりこの本は、21 世紀に起こるであろう人類社会の激変を予測し、たったひとこと、『The World is Flat』と表現しているのである。彼は、この本で世界をフラットにした、あるいは今もそうしつつある 10 の要素について詳細に分析している。この本は情報化社会の発達過程とその結果起こりつつある社会の激変に関する格好の歴史の教科書であると同時に、近未来の預言書でもある。

2.世界のフラット化とは何か

フリードマンは、インドのバンガロールで米国の中小の会計事務所からアウトソーシングされた米国市民の税金の計算や課税申告書の作成の補助的業務が処理されている情景描写からこの本を書き始めている。インドと米国の時差は丁度 12 時間なので、夕方発注された業務は夜間にインドで処理され、返送されて、翌日米国で最終処理される。こうして米国では業務が 24 時間休み無く進行する。彼は、『フラット化する世界』を次のように説明している:
<いまだかつてなく多くの人々がリアルタイムで共同作業し、あるいは競争している。地域的にも今までよりもずっと広い範囲の人々が従来よりもすっと多種多様な作業を行っている。コンピューター、電子メール、光ファイバー・ネットワーク、テレビ会議、機能的なソフトウエアなどを利用することにより、これまでの歴史に見られなかったような平等な立場でそうした作業を行っている。(中略)世界は平らだと、あるいは平らになりつつあると考えたときに初めて、多くのことが理解できるようになる。>
『世界のフラット化』の概念は、『グローバリゼーション』や『国際化』や『情報化社会』の概念とも重なるが、もっと大きな概念である。著者は 1400~1800 年ごろまでの大航海時代のスペイン、ポルトガル、オランダなどによる最初のグローバリゼーションをグローバリゼーション・バージョン 1.0 と呼び、1800 年~2000 年までの、英国及び米国主導のグローバリゼーションをバージョン 2.0 と呼ぶ。バージョン 1.0 は国家単位の世界化であり、バージョン 2.0 は国家と企業の世界化である。これら 2 つのグローバリゼーションの結果もたらされたものは、先進国による後進国の収奪や植民地化であり、最近では英米流のいわゆる「グローバルスタンダード」の押し付けによる、先進国や多国籍企業に一方的に都合がよい、いわば「強い者勝ち」の世界化であった。
これに対し、グローバリゼーション・バージョン 3.0、すなわち『世界のフラット化』は、「個人の世界化」である。この世界化はベルリンの壁の崩壊以後に始まり、携帯電話やブロードバンドや Google の普及によって代表される、IT の加速度的発達により、個人の情報獲得能力と情報発信能力が無限に近く増大した、ここ3年ほどの間に世界的に顕著になってきた傾向である。
フリードマンは同書で、『フラット化する世界』を次のようにも説明している。

<今の世界のフラット化は従来の大変化とは本質的に違う。速度と範囲が桁外れなのだ。たとえばグーテンベルクの活版印刷の実用化の場合は、何十年もかけて行われ、長いあいだ地球のごく一部にしか影響を及ぼさなかった。今のフラット化の過程は時間がワープしているかのような速さで進み、直接的もしくは間接的に地球のかなりの範囲の人々に同時に影響を与えている。新しい時代への移行は早くそして幅広く、破壊的な力を秘めている。>

3.世界のフラット化 - 個人的経験から

著書『フラット化する世界』が筆者にとって興味深いのは、筆者がこの十数年興味を持ち、労力を注いできたことの意味をこの本が改めて気づかせてくれたからである。
それはまさに『世界のフラット化』であった。
思えば、筆者が『世界のフラット化』のはしりに直面したのは 1993 年ごろから製薬協で ICH ガイドライン作りに関係したときである。当時は欧米がなぜ日本 1 国を米国及び EU(当時は 12 カ国、現在は 25 カ国)と対等の一極として扱かってくれるのか不思議であった。しかし今、『世界のフラット化』をキーワードに考えると、これは医薬品の承認申請関連規制の分野における「世界のフラット化」の流れに、日本だけがその社会のレベルが一定の水準に達していたために、アジアから 1 国だけ選ばれ参加を許されたのだと解釈できる。
ただし、筆者が議長役として深く関与した ICH Topic-M3 ガイドライン(臨床試験の実施のための非臨床試験の実施時期)は、成立したときから内容が平等でなかった。
すなわち Topic-M3 に関しては世界はフラットでなかった。「単回から 2 週間までのPhase I試験を実施する際に必要な反復投与毒性試験の最短の投与期間が、欧米では 2 週間、日本では 4 週間であったし、Phase I 試験を実施するために必要な生殖毒性試験の種類と内容にかなりの地域差があった。しかも FDA は、1996 年にスクリーニング目的の Phase I 試験を認可していたので、「米国に限り、単回投与の臨床試験は単回投与の非臨床試験で実施可能である」との文言を ICH-M3 ガイドラインに盛り込ませた。このため、ICH-M3 ガイドラインに関しては欧米と日本の間のみならず、米国と欧州の間もフラットではなかった。

4.ICH-M3 ガイドラインのフラット化

当時製薬協医薬品評価委員会基礎研究部会長であった筆者は、どうすれば欧米と日本の地域差が解消されるかを考えた。今思えば、「どうすれば世界がよりフラットになるか」を考えたことになる。最初にしたことは、この『世界がフラットでない現状』を講演や論文によって世間に訴えることであった。この種の講演の最も初期のものの一つは 1996 年 12 月、臨床薬理学会の前夜に行われた第9回ラビトンフォーラム「臨床試験の再考察」での、「ICH-M3(非臨床試験と治験の実施時期)の最新情報と欧米、特に FDA の考え方」と題する講演であった。この講演で筆者は ICH-M3 ガイドライン(当時は案)が欧米特に米国にとって有利な内容であること、日本も早急に産・官・学からなる研究班を組織し、スクリーニング Phase I 試験の導入を検討しなければ、日本の新薬開発は欧米に取り残されるであろうこと、また、今後治験が大量に海外に流出することにより、日本の治験は空洞化するであろうとの予測を述べている。不幸にしてこの予想は的中した。余談になるが、このときの筆者の講演資料を保存しておられた共立薬科大学の諏訪俊男教授は、丁度 10 年後の今年(2006 年)3 月、仙台での薬学会のシンポジウムにおいて、「10 年前にスクリーニング Phase I 試験に関してこのような提言をした者がいたが、その後規制面では何もなされず、この 10 年は空白の 10 年となった」と紹介された。論文の方は少し遅れて、『スクリーニング Phase Iと FDA 型単回投与毒性試験』という表題で 1999 年、薬物動態学雑誌(Vol. 14 No.3)に掲載された。
ICH-M3 ガイドラインが成立した 1997 年当時、日本と欧米の不一致点の中でも、生殖毒性試験の地域差についてはフラット化は困難と考えられた。ピルなど効果的避妊方法の普及率の違いのように、どうしようもない社会的背景があったからである。
しかし反復投与毒性試験の最短投与期間については、2 週間投与と 4 週間投与で生殖器官毒性の検出力に特に差がないことを示すデータがあれば、ICH-M3 ガイドラインを改定して欧米との間をフラット化することが可能であると考えられた。
そこで筆者は国立衛研の高橋道人先生や大野泰雄先生と相談し、当時厚生省でICH を担当しておられた富永俊義国際化専門官に対し、次のような提案をした:
「生殖毒性を持つことが分かっている化学物質について 4 週間投与と 2 週間投与の生殖器官毒性の検出力の比較研究を行い、同等という結果が出れば、そのデータでもって ICH-M3 ガイドラインを改定し、欧米との不平等を解消してはどうか。」この提案は採用され、製薬協加盟 28 社の協力を得て製薬協と国立衛研の共同研究として実施された。その結果、4 週間投与と 2 週間投与の生殖器官毒性の検出力に差がないことが証明された。この共同研究の結果は堺俊治氏を筆頭著者として日本トキシコロジー学会誌 J. Toxicol. Sci. Vol. 25, Special Issue, 1-21(2000) に掲載された。厚生労働省はこの論文を根拠に ICH-M3 ガイドラインを改定し、反復投与毒性試験の最短投与期間は欧米並みに2週間となった。すなわち世界は少し『フラット化』された。

5.Microdose 臨床試験のフラット化と谷学ホームページ

ところが 2003 年に EU が Position Paper を出して microdose 臨床試験を認可したことから、米国と EU との間では「スクリーニング目的の単回投与の Phase I 試験は単回投与の毒性試験で実施可能である」という線でフラット化が実現した。その結果、欧米と日本との間の不平等性、すなわち「非フラット性」はより拡大した。そこで筆者はこのことに関する世間の注意を喚起するため、この EU の Position Paper に関する解説論文を書いた。『単回 microdose 臨床試験(EU 型スクリーニング Phase I 試験)とその実施のための非臨床安全性試験』と題するこの論文は、最初「臨床薬理学会誌」への投稿を考えたが、この論文には Position Paper の翻訳も付けてあったためにページ数が多く、印刷代がかさむことが分かった。
そこで、できるだけ早く世間の人に読んでもらうために、2003 年の暮れに無理にお願いして谷学のホームページに掲載していただいた。この論文はその後、栗原千絵子氏のご好意で、「臨床評価」Vol. 31,No, 2, 331-350 (2004)に掲載された。谷学のサイトにアップロードされていた期間は 1ヶ月あまりであり、版権の関係でサイトから取り下げられたが、この論文は、当時も今(2006 年7月中旬)も、Google で検索すると読むことができる(「microdose と筆者の名前を入力するとトップに出てくる)。2 年半も前に谷学のサイトから取り下げられたにもかかわらず、である。
これは Google が、クロールして得た文書を PDF 化してキャッシュに保存しているからである(文春新書の「Google」という本によれば、Google は、世界中の全ての web サイトのコンテンツ、全ての書物や文書、地図を含む全ての画像を保存し、利用できるようにすることを究極の目標としているという)。
さて、「Google の検索で読むことができる状態が続くこと」の意味を筆者はやがて思い知らされることになった。臨床試験に関係する雑誌、学会、商業セミナーあるいは企業(いずれも複数)から、microdose 臨床試験についての講演や原稿の依頼が次々と来るようになったのである。その件数はこの 2 年半で 20 件を超えた。印刷費の関係で投稿しなかった臨床薬理学雑誌からも、『スクリーニング Phase I 試験特集』を組んで原稿を依頼してきたので、cold での microdose 臨床試験の可能性を示唆する測定データを追加して、『欧米におけるスクリーニング Phase I 試験』と題する解説論文を山根尚恵氏及び菊池 康基氏との共著で書いた(臨床薬理、Vol 36, No. 1, 7-18,2005)。
今年(2006 年)になっても講演依頼が続き、1 月 25 日には東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学の公開講座で講演し、また、2月24日には(独)医薬品医療機器総合機構からの依頼で総合機構内の特別研修会で講演した(東大大学院の公開講座での講演はこの 7 月 24 日にも予定されている)。
また、5 月 17 日の第 54 回質量分析総合討論会のシンポジウムでも、『Microdose臨床試験の安全性に関する考察』と題して講演したが、このシンポジウムでは日本で最初の cold での microdose 臨床試験の結果が発表された。「日本では cold のmicrodose 臨床試験も検討すべきである」という主張は、筆者らが 2 年半前から前述の 2 つの論文や講演の中で繰り返してきたことである。
更に筆者は、東大大学院医薬品評価科学講座の杉山雄一教授が自主的に組織された「MD 研究会」のメンバーにも加えていただいている。この研究会では今、筆者がこの 10 年間訴えつづけたこと、すなわち「日本の microdose 臨床試験ガイダンスの草案作成」までを視野に入れた活動を開始している。
谷学のホームページと Google が存在しなければ、今筆者の周りで起きているようなことは、一つも起こっていなかったかもしれないと思うと、「フラット化する世界」の凄さ、恐ろしさを改めて感じざるをえない。

6. 21 世紀の谷学

ボランティア精神と『give and take』によって支えらた「谷学」は、これまでも 21 世紀を先取りしたような組織であった。しかし、谷学の活動はまだ古い要素を多く残している。たとえば、谷学ホームページの活用はこれまでにも議論されて来たが、まだ不十分である。谷学ホームページの投稿ページは、『今週の一言』にしても、『旅のこぼれ話』も、『常識と非常識』も、選ばれた者のみが書くことを期待されている。最近、幹事等多くの会員に寄稿を呼びかけることで少し改善されてはいるが、自由投稿までには至っていない。すなわち谷学ホームページは一般会員にとって「フラットでない」。また書かれた内容は会員の自己紹介や親睦が目的であって、刊行はされない。この現状を変えてはどうだろうか。
例えば毎年奈川フォ-ラムの当日までに印刷物『毒性質問箱』を完成させ、受付のデープルに積み上げるのは大変なことである。そのために多くの原稿の依頼や交閲や印刷や製本を締め切りに間に合わせなければならない。このことは、編集委員にとっては大変なプレッシャーがかかることを意味する。そのようなプレッシャーを少しでも減らし、谷学の活動をもっと 21 世紀にふさわしいものにするため、一つの提案をしたい。それは谷学のホームページを出版目的にもっと活用することである。
『知の巨人』と言われる立花 隆が、『滅び行く国家-日本はどこへ向かうのか』という分厚い単行本を日経 BP 社から今年の 2 月に出版した。この本は彼が日経 BPの web にアップロードした評論を並べ替えただけで発行された。彼は、「このような時事的内容の書物を刊行するにはこの、最初に web に掲載し、出版時に並び替える方式が最適であり、これ以外は考えられない。Web への掲載には締め切りも長さ制限も無く、投稿時刻の制限も無い。配布は瞬間的にできる。出版時の編集もすぐできるからだ。」と書いている。谷学はこの「立花 隆方式」を採用してはどうか。すなわち、谷学のホームページの投稿欄をもっと拡張し、情報発信力を強化すると共に、刊行物『毒性質問箱』への掲載にふさわしい論文や評論の投稿を歓迎するのである。刊行物『毒性質問箱』の編集時には過去 1 年間にアップロードされたこれらの評論や論文を収録する。そうすれは締め切り前に改めて多くの原稿を依頼し、催促し、校閲する業務が軽減される。
谷学会員が(あるいは非会員でもよいが)、もっと気楽にディスカッションに参加できるようなブログ欄を新設するのも良いだろう。Google は公式サイトもブログも区別しないので、注目すべき内容であればこれらは等しい情報発信力を持つ。たとえば、かつて筆者は谷学の『常識と非常識』欄に、『石炭・石油・天然ガスの起源』という内容で寄稿したことがあるが、この全文が全く知らない人のブログに引用されており、これがGoogle でも検索可能なことがわかった。
(http://blog.goo.ne.jp/munitis3000/e/1bb655ced07540289acf1a29cc580783)。
つまり、こちらが意図しなくても、Google の検索にひっかかることで情報は「フラットな世界』の上を一人歩きするのである。時代がこのように変わってきたのだから、谷学のホームページを、もっと意図的・積極的に時代に合った情報発信力の高いものに進化させたほうがよい。谷学のホームページが、かつて筆者の microdose 臨床試験に関する解説論文を掲載してくれたことが、この論文の雑誌掲載の端緒となったように、投稿欄の拡充は、情報発信機能の向上という点で谷学をもっと 21 世紀的な組織として発展させるであろう。

(以上)