谷学発!常識と非常識 第33話 がんは感染するか?

   2018年3月28日夜、NHKは「悪魔の医師か赤ひげか」という週刊誌的タイトルのドキュメンタリーを放映しました。「悪魔の医師か」と呼ばれたのは1000例を超す腎移植の実績をもつという77歳の現役の外科医。理由はこの医師が移植した腎臓の中に、がんが感染するかも知れない腎臓(通称:病気腎)が含まれていたからです。
   がんが感染しないことは常識ですが、「がん細胞が含まれている可能性がある臓器を移植した場合、がんが他人に感染するか?」という問題になると話は微妙です。他人の組織は移植しても通常は生着しませんが、臓器移植では免疫抑制剤が使用され、他人からの臓器でも生着するからです(ただし、生着期間は組織適合性により異なる)。

1.腎不全患者の人工透析の現状

※1より引用

   腎不全患者は腎臓からの老廃物の排泄不足、あるいは尿途絶による尿毒症等を防止するために人工透析により血液の「老廃物除去」「電解質維持」「水分量維持」を行う必要があります。

   左のグラフは慢性的に人工透析を受けている腎不全患者の数の推移です。横軸の左端は1968年で、透析患者は215人にすぎなかったのが、右端の2015年には32万5千人と、この間に約1500倍に増加しました。増加した理由は人工透析施設の増加、高齢化による腎不全患者の増加、及び透析技術の進歩による延命効果で、長期透析患者が増加したことなどです(※1)。
   腎臓は尿を排出するだけでなく、レニンを分泌して血圧を調節し、エリスロポエチンを分泌して造血に関与し、またビタミンDの活性化により骨代謝にも関係しています。このため腎不全患者には、高血圧、動脈硬化、貧血、骨や関節の異常など、様々な合併症が起き、感染の機会も増え、生活の質(QOL)が大きく低下します。透析を開始すると平均余命は健康な人の半分に低下し、2001年に透析を開始した患者の10年生存率は36.2%で、腎臓がんの10年生存率の62.5%よりもはるかに低いのです。このため慢性透析患者の多くはQOLがより良い腎臓移植を希望します。ところが圧倒的なドナー不足のため、日本臓器移植ネットワークに登録しても、登録日から移植日までの平均待機期間は5,317.4日(約14年7ヵ月)という長さです(※2)。結局移植が間に合わない場合のほうが多く、約2万人以上の透析患者が毎年死亡しています。さらに厚生労働省の「国民医療費の概況」(2014年)によれば、腎不全関連の国民医療費は1兆5,346億円に達します。透析患者に多い合併症の分も含めれば透析関連の国民医療費は恐らく2兆円を超すと言われています(※3)。しかも毎年約3万人近くの腎不全患者が新たに透析患者に加わり、亡くなる人を差し引いた約6000人の透析患者が毎年増え続けています。

2.腎不全患者への腎臓移植の現状

   この問題の解決法の1つは腎臓移植を増やすことです。腎臓移植には、通常親族がドナーとなる生体腎移植と、脳死や心停止下のドナーから腎臓を提供される死体腎移植があります。我が国での腎移植は年間約1600症例で、そのうちの約85%、約1400症例は生体腎移植であり、残りの約200症例が死体腎移植です。日本の腎移植数は米国の約10分の1(人口当たりでは3分の1)以下ですが、これは死体腎のドナーが少ないことが原因です。日本臓器移植ネットワークへ登録して移植を待っている腎不全患者は約1万2千人にのぼります(※4)。
   しかも移植された腎臓はいつまでも機能するわけではなく、移植腎の半数の機能が廃絶するまでの年数であるハーフライフは、組織適合性が高い親子間生体腎移植で平均12年、死体腎移植で9年とされます。このハーフライフは前述の平均移植待ち期間よりも短いのです。

3.修復腎移植

   一方、腎臓がんなどで摘出され、廃棄されている腎臓の数は年間約7000個もあります(※4)。腎臓がんの手術は、最近ではがんを切除した腎臓を残す努力がなされるようになりましたが、従来はまるごと摘出されるのが普通でした。その理由は、がん細胞を完全に除去できる保証はなく、残りの腎臓を残せば、がんの再発率が高まると考えられていたこと、腎臓は片方でも生きられることなどです。これら摘出された腎臓をバックヤード(手術室の外)で精査し、がんの病巣が小さく(小径がんという)、がん病巣を周辺組織とともに切り取ることができれば、傷を修復した腎臓(修復腎という)は腎臓の機能を保っており、移植を長期間切望している慢性透析患者に移植してその患者の命を救うことができます。もちろん患者にはその腎移植によるがんの感染の可能性を説明し、それでも患者が希望することが前提です。修復腎移植が可能な腎臓は年間1000個程度と推計されています(※4)。

4.がんは感染するか

   問題は修復腎を移植された患者にドナー起源のがんが発生するリスクがどれぐらいあるかです。それは結局、臨床研究で確認するしかないのですが、一部の医師は修復腎移植を実施していました。最も数多く実施した医師がNHKのドキュメンタリーに登場した、愛媛県宇和島市、徳洲会宇和島病院の泌尿器科部長、万波(まんなみ)誠医師でした。呉市を中心とする「瀬戸内グループ」の医師たちも協力し、2006年までに計42例の修復腎移植が行われました。
   しかし万波氏が冤罪事件に巻き込まれたことがきっかけで修復腎移植が明るみに出て、日本移植学会は2006年「修復腎移植に科学的妥当性はない」とする声明を出し、日本における修復腎移植は一旦中断されました(※4)。しかし修復腎移植は海外で続けられ、米国やイタリアの臨床研究で、修復腎を移植された患者へのドナー起源のがんの転移の確率は非常に低いことがわかってきました(※5)。上記のNHKの番組の中で、広島大学名誉教授の病理学者難波紘二博士は、修復腎移植と死体腎移植の生着率は同等であり、いまや「修復腎移植はがんの転移の危険性がある」という日本の「常識」は、世界の「非常識」であると語っています。
   徳洲会病院グループは2009年に臨床研究としての修復腎移植を再開し、現在までに23例を実施しています。先の42例と併せ、ドナーからのがんの転移は1例もないと報告しています(※6)。
   このような世界の情勢、修復腎移植を支持する出版物やSNS等の影響、及び患者団体の働きかけを受け、厚生労働省は2017年10月、条件付きながら、修復腎移植を先進医療として認め、一部の費用の健康保険適用を決定しました(※7)。
次の第34話では、「脳の神経細胞は増殖しない」という100年続いた「常識」を取り上げます。

(馬屋原 宏)

1)日本透析医学会:http://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2016/2015all.pdf
2)日本臓器移植ネットワーク:https://www.jotnw.or.jp/transplant/about_kidney.html
3)週刊現代:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49662
4)Wikipedia病気腎移植:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%85%E6%B0%97%E8%85%8E%E7%A7%BB%E6%A4%8D
5)https://hirohuki.exblog.jp/21581964/
6)徳洲新聞ダイジェスト:https://www.tokushukai.or.jp/media/newspaper/1105/article-1.php
7)日本経済新聞:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22463230Z11C17A0000000/