谷学発!常識と非常識 第56話 氷河時代の日本列島

1.地球の過去の気温

下のグラフは過去約5億年間の地球の平均気温の変化を示します(文献1より引用)。実測値は右端の約150年間だけ。残りは大木の年輪、氷床コア、湖沼や海底の堆積物のボーリングコア、生物化石などの分析による推定値です。これによれば太古の地球の気温は概して現在よりも高く、約300万年前頃(グラフ中央部)から徐々に低下すると共に寒暖差が大きくなり、約50万年前からはかなり正確に約10万年周期で温暖期(間氷期)と寒冷期(氷河期)を反復していることが分かります。

この10万年周期の気温の変化はミランコビッチサイクル(第53話参照)によるもので、約1万年前から続く現在の温暖期はやがて終わり、また氷河時代がやって来ると考えられます(ただし、化石燃料の消費が継続し、大気中の二酸化炭素濃度が増加し続ければどうなるかわかりませんが)。

2.日本の氷河痕跡

世界にはフィヨルド(氷河の侵食によって形成された湾)や氷河湖など多数の氷河痕跡があり、また極地や高山には氷河が現存しています。しかし日本に氷河痕跡や氷河があるかは100年以上前から議論されてきました。例えば地理学者の山崎直方氏は1902年、「氷河果たして本邦に存在せざりしか」と題する論文を『地質学雑誌』に発表して氷河痕跡の存在を主張しました。彼の名は立山の「山崎カール」に残されています。また銀行員で作家・登山家の小島烏水氏は1911年、日本アルプスや北海道の日高山脈に多数のカール地形があると唱えました。更に国土地理院の五百沢智也氏は日本の氷河地形を集大成した著書を出版しました。こうして日本における氷河痕跡の存在は定説となり、数年前には生きた氷河の存在も確認されました。国土地理院は「氷河・周氷河作用による地形」と題して日本の氷河痕跡のデータを公開しています(※2)。その中から日本の代表的な氷河痕跡を紹介します。

2-1)氷食谷(U字谷)
左の写真(文献3より引用)は北アルプスの槍ヶ岳の登山路の一つ、槍沢の秋の風景です。槍沢は一目で分かるような典型的な氷食谷(氷河の侵食によって形成された峡谷)です。氷河時代には槍ヶ岳から4方向に長さ数kmの氷河が流れ下り、氷食谷を形成していました(※4)。写真の槍沢を流れていた氷河は、写真中央左奥の槍ヶ岳頂上直下から写真右下の更に下流の一ノ俣を超え、全長は約7kmありました。残りは写真左側の稜線の反対側の飛騨谷、正面の稜線の向こう側に槍ヶ岳北鎌尾根を挟んで西側の千丈沢と東側の天井沢を流れていました(※4)。
2-2)カール地形(氷河圏谷)
左写真(文献5より引用)は日本最大級のカール地形(氷河によって形成されたお椀を半分にしたような地形)の穂高岳涸沢カールです。直径約2km、カール底の標高は2,300m、カール壁の最高点の奥穂高岳(標高3,190m、写真には入っていない)から底までの比高は約900mです。カール地形は他に北アルプスの薬師岳や黒部五郎岳、中央アルプスの千畳敷カール、南アルプスの仙丈ヶ岳カールなど多数あり、北海道日高山脈にもあります。
2-3)鋸歯状山稜
氷河に削られた鋸(のこぎり)状の稜線をいい、上の2-2)の涸沢カールの写真の前穂高岳から左に伸びる前穂北尾根が典型的な鋸歯状山稜です。他に剱岳の八ツ峰、槍ヶ岳の北鎌尾根、上高地からよく見える西穂高岳などが有名です。
文献2には上記3種の他に、氷食尖峰(例:槍ヶ岳)、氷食岸壁(例:穂高岳屏風岩)、モレーン(氷河堆石)など、計33種類の氷河痕跡が紹介されています(詳細は省略)。

3.氷河時代の日本列島
ニューヨークのセントラルパークの迷子石(氷河が遠くから運んできた巨石)は氷河時代のマンハッタン島が氷河の下にあったことを示しています。ところが上に挙げた日本の氷河痕跡は全て山岳地帯に限られています。日本の平地には氷河痕跡はないのでしょうか?

信州大学の郷原保真氏の論文「日本の氷河時代」によれは、日本列島の平地には氷河痕跡はありません(※6)。日本列島では氷河が平地まで流れ下ることが1度もなかったからです。日本列島に限らず、赤道を挟んで南北の緯度約45度以内、すなわち地表の約3分の2以上は、高山を除き、氷河に覆われたことはありません(全球凍結時代は例外)。氷河時代に平地まで氷河で覆われたのは欧州の中央部以北、北米大陸の五大湖付近以北でした。旧石器時代の人類が何度も氷河時代を経験しながら生き残れたのは、熱帯~温帯地方には氷床がなかったからです。

氷河時代の日本の平均気温は現在よりも約8度低かったとされます(※6)。当時どれぐらい寒かったかは、北海道の富良野の年間平均気温+6.3℃であることから想像できます。例えば東京の平均気温は15.4℃ですから、8度低下しても+7.4℃で、現在の富良野よりもまだ温かいのです。

4.日本における氷河形成の条件

氷河時代には日本アルプスや北海道の高山の稜線では氷河が発達しました。その理由は、標高100メートルにつき気温が約0.6度低下するためです。3000メートル近い高山の稜線近くでは約20度気温が低下し、氷河時代の平均気温の低下分と合わせると現在の平地よりも約30℃低下します。これだけ気温が低下すると冬季の積雪量が夏の溶解量を上回り、毎年の積雪が積み重なって氷河が発達します。氷河が成長する標高を雪線といい、日本列島中央部の現在の雪線は約4000mですが、氷河時代には雪線が約2500mに低下し、氷河が発達しました。雪線以下では氷河は成長しないので、氷河は雪線以下のどこかの標高で流れてくる氷の量よりも夏の融解量が多くなる地点よりも下流には氷河は到達しません。これが日本の平地に氷河痕跡がない理由です。

5.現代の日本に生きた氷河があるか?

日本の山岳は標高が雪線以下であるため、本来は氷河が形成される条件が欠けています。このことは標高3776mの富士山でも夏には冠雪がなくなることからわかります。したがって最近まで日本には生きた氷河はないと考える人が多かったのです。しかし、京都大学名誉教授で動物学者・探検家の今西錦司氏は、1929年に劔沢の万年雪の先端が氷であることを確認し、また1933年に鹿島槍ヶ岳のカクネ里雪渓でも氷を確認して、氷河の可能性が高いことを論文に書いています。このように日本の高山に残る万年雪の底部が氷であることはわかっていましたが、その氷体が動いていることの証明が困難であったため、日本における氷河の存在は最近まで確定しませんでした。この状況を打破したのが雪渓の下に隠された氷の厚さが測定できるアイスレーダーと、氷体の僅かな移動も測定できるGPS(全地球測位システム)という2種の最新機器でした。これらによる調査の結果、現在では立山御前沢雪渓、剣岳三ノ窓雪渓、同小窓雪渓など立山・剣山系の5箇所と、後立山連峰の鹿島槍ヶ岳のカクネ里雪渓の計6カ所の雪渓が氷河であることが確認されています。

定義によれば雪線以下の標高では生きた氷河は存在できないはずですが、なぜ日本にも氷河が存在するのでしょうか。その答えは地形にあります。確認された日本の氷河は全て両側を切り立った高い尾根に挟まれた深い谷にあります。すなわち日本の氷河は、冬季には本来の豪雪に加え、雪崩による雪の集積が数10mに達するような、西日の当たらない地形に限って存在しうるのです。

6.知らずに見ていた日本最大の氷河

左の写真は2003年10月11日、剣沢と仙人池をむすぶ仙人新道から私自身が撮影した紅葉の剱岳三ノ窓雪渓です。新雪が来る前のこの時期の雪渓は1年で最も痩せ細っていますが、それでもこれだけ長大な万年雪が残っていました。この雪渓は2011年6月のアイスレーダー観測により、長さ1200m、厚さ70mに達する長大な氷体をもつことが確認され、また同年秋に行われたGPSによる観測の結果、1ヶ月で最大30 cm流動していることが分かり、この雪渓が日本最長の氷河であることが確認されました(※7)。冬季にはこの雪渓の左側の剣岳八ツ峰尾根と右側の三ノ窓尾根からの雪崩が20~30mの深さに集積し、年月をかけて圧縮され氷になります。この雪崩の集積がなければ三の窓雪渓が氷河として生き残ることはなかったことでしょう。

この雪渓が氷河であることが確認されたのはこの写真を撮影してから8年後でした。今改めてこの写真を見るとき、この小氷河は氷河期の終わりから現在までの約12000年間の温暖期(第四間氷期)に耐えて生き残った氷河時代の生きた証人であることを思うと、感慨深いものがあります。

(馬屋原 宏)

1) 古代の気候―雑記帳:https://naturalscience311.blog.fc2.com/blog-entry-3.html?sp
2) 国土地理院:http://www.gsi.go.jp/kikaku/tenkei_hyoga.html
3) 槍沢ロッジ:http://www.yarigatake.co.jp/yarisawa/blog/2017/10/104-3.html2)
4) 水野一晴:『気候変動で読む地球史』、NHK出版(2016)
5) Wikipedia、涸沢カール_(200708).jpg
6) 郷原保真:https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/11/pdf/11_2_1.pdf
7) 富山県:http://www.pref.toyama.jp/sections/1711/yuki/tateyama/tateyama_hyouga.html