谷学発!常識と非常識 第57話 睡眠とは何か①:ヒトはなぜ眠るのか?
我々は人生の約3分の1を眠って過ごします。睡眠の定義の1例は、「周期的に繰り返す、意識を喪失する生理的な状態」です(※1)。つまり我々は、限られた人生の時間の約3分の1を、意識を失った状態で過ごすのですが、それは何のためでしょうか? これから数回の「常識と非常識」の「睡眠と夢」シリーズでは、この生命科学の最大の謎の1つに挑戦します。1回目の今回は、睡眠がどのように発生してきたか、眠らないとどうなるかなどについて調べました。
1.草木も眠る丑三つ時?
最近、「木も夜は眠る、実験で初めて確認」という報道がありました(※2)。内容は、レーザースキャンで木の外形を連続測定したところ、夜間に枝が下がった、というものでした。枝が下る原因は、植物組織の膨圧が夜間に低下して枝の木質の硬度が下がるため、との説明です。同様の現象はネムノキや、夕方になると閉じる花で知られており、概日リズムで説明されてきました。これを「睡眠」と呼ぶことは、既に動物で定義されている「睡眠」を、全く異質な植物の生理現象に流用することになり、睡眠の定義を混乱させます。「草木も眠る丑三つ時」は、講談の世界だけで良いと思われます。
2.タコも夢を見るか?:無脊椎動物の睡眠
プラナリアや昆虫のような無脊椎動物も、不活動状態になるときがあります。彼らが睡眠中なのか、休息中なのかは、脳波で確認できないので、下記のように、行動学的に確認するしかありません。
ショウジョウバエは特定の時刻(真昼と夜間)に不活動状態になります。動きを止めた直後のハエはつつけばすぐ逃げますが、一定時間以上不活動状態が続いたハエをつついてもすぐには動きません。またこの不活動状態は、カフェイン入りの砂糖水で短縮され、抗ヒスタミン剤(睡眠導入剤)で長くなるなど、ヒトの睡眠と共通しており、ハエの不活動状態も1種の睡眠と考えられます(※3)。このため近年、ショウジョウバエは睡眠に関係する遺伝子の研究などに盛んに使用されています。
軟体動物のタコは比較的大きな脳を持ちますが、不活動状態のときに突然激しく体色を変え、呼吸が荒くなる様子を動画で確認できます(※4)。タコが睡眠中に夢を見ている可能性があります。
3.草食動物の睡眠はなぜ短いか?:脊椎動物の睡眠
脊椎動物の睡眠は、魚類や両生類の「原始睡眠」、爬虫類の「中間睡眠」、恒温脊椎動物の「真睡眠」の3種が区別されます。真睡眠ではノンレム睡眠とレム睡眠(後述)が区別されます(※5)。
哺乳類の睡眠時間は、動物の生態と深い関係があります。ナマケモノ(20時間)やコウモリ(19時間)は、摂食時以外は殆ど寝ています。ネコ(約16時間)、イヌ(約14時間)、マウス・ラット(約13時間)など、概して肉食性・雑食性の動物の睡眠時間は長く、これに対し、キリン(20分間)、ウマ(2時間)、ヤギ・ヒツジ・ウシ(3時間)、ソウ(3時間)などと、草食動物の睡眠時間は概して短いようです。草食動物の睡眠時間が短い理由は、睡眠中に肉食動物に襲われないように、短時間睡眠の方向に進化したためと考えられています(※5,6)。
4.イルカや渡り鳥はどうやって眠る?:特殊な睡眠
イルカは生涯を水中で過ごしますが、眠るときは片目を閉じ、大脳半球を半分ずつ眠らせています(半球睡眠)(※5)。外敵に襲われないように特殊な進化をしたと考えられます。
海の上を長時間飛ぶ渡り鳥の睡眠のとり方は謎でしたが。最近、渡りの直前に発信機をつけ、渡りの最中の脳波を実際にテレメトリー測定した結果、徐波睡眠(後述)の繰り返しが確認され、渡り鳥が短時間の熟睡を反復しながら、自動飛行モードで飛び続けていることが分かりました(※7)。
以上見てきたように、全ての動物は眠りますが、睡眠中の動物は外界からの感覚入力を遮断し、骨格筋を脱力させているため、全く無防備です。野生動物は(状況によってはヒトも)、生命を危険にさらしてでも眠っています。では、眠らないとヒトや動物はどうなるのでしょうか?
5.ヒトは眠らないとどうなるか?
1964年に行われたヒトの長期断眠実験で、被験者(17歳の高校生)が、11日間の断眠という新記録を樹立しました。彼は2日目から体調不良や集中力の低下を訴え、断眠日数が長引くにつれて、情緒不安定、記憶障害、震え、言語障害、視力低下、被害妄想、幻覚などの精神・身体的症状が認められました。実験終了後、彼は15時間連続して眠り、睡眠リズムの乱れは約1週間続きましたが、その後は正常に戻り、不可逆的な影響は報告されていません(※8)。
6.ラットは不眠で死亡するか?
1980-90年代にラットを使った一連の断眠実験が行われました。最も有名な断眠実験は、水上円盤法(disk-over-water method)を用いたものです。この方法を使えば、断眠ラットは2-3週間以内に全例が死亡または切迫屠殺され、3週間を超えて生き残るラットはいませんでした(※9)。この方法は、2-3cmの深さに水を張った水槽の水面よりも上に円盤を置き、壁で2つに仕切って、片方で断眠ラットを、反対側で対照ラットを各1匹飼育します。ラットは常時脳波を監視し、断眠ラットで睡眠を示す脳波が検出されると、円盤が自動的にゆっくり回転し始めます。ラットは回転とは逆方向に、回転速度に合わせて歩くことを強制され、うまく歩けば6秒後に回転が停止し、ラットは水中への転落を免れます(論文では、「水中に転落」と言わず、「水中に運ばれる」carried into the waterと表現しています)。一方、寝込んでいてうまく歩けなかったラットは円盤から水中に転落して目を覚ます仕掛けです。この方法で断眠ラットの睡眠の殆ど(ノンレム睡眠の90%以上と、レム睡眠の99%)が奪われます。対照ラットは実験期間の約8割を占める円盤の停止中に、自由に眠ることができる、と書かれています。
この論文には、なぜか水中転落関連の記述が全くないので、同じ著者の他の論文も参考にして論理的に推論すると、眠り込んでいたラットは、水中への転落でショックを受け、次に自力で円盤に這い上がり、濡れネズミ状態で過ごすと思われます。そして、実験の後期になるほど、断眠ラットの水中転落の回数は加速度的に増え、濡れネズミ状態が続くはずです。理由は、睡眠不足が蓄積するほど、眠り込んだまま水中に転落する回数が増えるからです。更に、断眠ラットは2-3週間で死亡するほど急速に衰弱するため、歩行困難による水中転落の回数も増えるはずです。
対照ラットへの影響が殆どないことから、論文の著者は、この断眠方法が穏やか(mild)なものであると書いています。しかし、断眠ラットにとっては、2-3週間以内に確実に命を奪われるこの方法が、「穏やか」なはずがありません。断眠ラットの命を縮めたものの正体は、論文では睡眠不足が暗示されていますが、実は論文が全く触れていない、死期が近づくほど加速度的に増える水中転落と、慢性的濡れネズミ状態という悪夢的状況がもたらす致死性のストレスであった可能性があります。水中転落の頻度に群間の差がないことを示せば、この可能性は否定できますが、論文は水中転落そのものに一切触れていないため、この可能性は否定されずに残ります。
断眠ラットの病理所見には、体重減少、体温低下、脱毛、皮膚や尾の潰瘍、常在菌による感染症、原因不明の死亡など、ストレスの影響を疑わせる所見が多く、死因として、ショック死、過度のストレスによる衰弱死、免疫低下が原因の敗血症死など、ストレス関連の死因も考えられますが、論文の著者は、死亡とストレスとの関連には否定的で、死因は特定されていません。
にもかかわらず、この実験以後、「動物を睡眠不足にすると死亡する」という考え方が専門家の間でさえも「常識」になりました。しかし、ストレスの関与が否定できない以上、そのような結論は出せません。
視点を変えれば、上記の実験は、動物から睡眠の殆どを奪うことがどれほど困難なことか、またそのために、動物をどれほど残酷な状況下に置かねばならないかを物語っているとも言えます。
次の第58話では、睡眠のタイプ、睡眠周期、睡眠段階などの面から睡眠とは何かを調べます。
(馬屋原 宏)
引用文献 1)睡眠:Wikipedia2)科学検定:https://www.kagaku-kentei.jp/news_detail/data/267
3)粂和彦:http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2018/12/79-01-06.pdf
4)カラパイア:http://karapaia.com/archives/52272181.html
5)日本睡眠学会:http://www.jssr.jp/kiso/kagaku/kagaku05.html
6)井上 昌次郎:http://www.sirasaki.co.jp/makura-ninngennkougaku/doubutu-suiminjikan.html
7)JCASTニュース:https://www.j-cast.com/2016/08/19275217.html?p=all
8)櫻井武:「睡眠の科学」、講談社ブルーバックス(2017)
9)Rechtschaffen A.and Bergmann B.M.:Sleep deprivation in the rat by the disk-over-water method. Behavioural Brain Research 69 (1995) 55-63