谷学発!常識と非常識 第59話 睡眠とは何か③:睡眠と覚醒のメカニズム

1.体内時計による睡眠と覚醒の支配

ヒトが夜になると眠り、朝になると目が覚めるのは睡眠と覚醒が体内時計の支配を受けているからです。
左の図(文献1より引用)は、ヒトの体内時計とみなされている「視交叉上核」の位置を示します。「視交叉上核」は、「視床下部」(左図参照)の先端部にある小さな一対の神経核(神経細胞集団)です。「視交叉上核」は、睡眠と覚醒の概日リズムと、これを支える深部体温、血圧、呼吸、ホルモン分泌、内臓の活動など、全身の概日リズムを統一的に支配する、最高位の中枢として機能しています(※2)。「視交叉上核」は多数の時計細胞から構成されます。
時計細胞は時計遺伝子の活動による一日の時刻情報を全身に送り出し、各臓器に存在する下位の概日時計の位相が統一するよう調律します(※2)。

2.睡眠と覚醒のメカニズム

睡眠(ノンレム睡眠)に中心的な役割を果たす脳内部位(以下、睡眠中枢)は、視床下部前部にある「視索前野」であるとされます。「視索前野」の神経細胞群は体内時計の指令により、睡眠に入る少し前から活動を開始し、睡眠中は休まず発火を続けて、抑制性の神経伝達物質であるGABA(γ-アミノ酪酸)を全身に送り出して睡眠環境を維持します。GABA産生細胞は、視床下部後部にある覚醒中枢のオレキシン産生神経細胞群やヒスタミン産生神経細胞群と直接シナプス結合して、覚醒物質のオレキシンとヒスタミンの産生を停止させることにより、睡眠を開始・維持します(※3)。
一方、覚醒中枢は脳幹と視床下部にあります。脳幹の覚醒中枢は「脳幹網様体賦活系」と呼ばれ、覚醒時には、その中に含まれるモノアミン産生神経細胞群やアセチルコリン産生神経細胞群が体内時計により活性化され、覚醒物質のモノアミン類やアセチルコリンを産生します。これらの覚醒物質のうち、①モノアミン類(ノルアドレナリン、セロトニン)は大脳皮質各部に送られ、これを覚醒させる、②アセチルコリンは視床を介して脳全体を覚醒させる、また、③これらの覚醒物質は睡眠中枢(視索前野)のGABA産生細胞群を強く抑制する、などを通じて覚醒を開始・維持します(※4)。
視床下部後部のオレキシン細胞群とヒスタミン細胞群も覚醒中枢として機能します。覚醒時には、これらの細胞群に対する睡眠中枢からのGABAによる抑制が消失するため、強力な覚醒物質であるオレキシンやヒスタミンの産生が高まります。これらの覚醒物質は、①視索前野のGABA産生細胞群を強く抑制する、②「脳幹網様体賦活系」を刺激して、覚醒物質のモノアミン類やアセチルコリンの産生を高める、③全身の臓器を覚醒させる、などを通じて覚醒を開始・維持します(※3、4)。

3.睡眠を支える物質(睡眠物質)

眠気をもたらし、睡眠を維持する物質を睡眠物質と呼びます。2項のGABAは代表的睡眠物質です。ベンゾジアゼピン系・非ベンゾジアゼピン系睡眠薬はGABA受容体に作用する睡眠薬です。
松果体から分泌されるホルモンのメラトニンは、厳密な意味では睡眠物質ではありませんが、メラトニンの分泌は日中、強い光を浴びると減少し、夜間は分泌量が増えて、心拍数、体温、血圧などを低下させ、間接的に夜間の睡眠をもたらします。また、朝日を浴びるとメラトニンが分泌される時間や量が調整されるため、メラトニンには体内時計を調整する機能があります(※5)。
メラトニン受容体作動薬は生理的な眠気を増強させる作用をもつ穏やかな睡眠薬ですが、生体リズムを調整することを通じて間接的に作用するため、服用の時刻や服用期間に注意が必要です(※5)。
アデノシンは代表的な睡眠物質です。アデノシンは生体の主要なエネルギー源であるATP(アデノシン3リン酸)の分解産物であり、長時間の労働や運動の後、よく眠れる理由の1つはアデノシンの全身的増加です。また、プロスタグランジンD2は脳膜から分泌され、覚醒状態が続くと脳内濃度が上昇する睡眠物質であり、アデノシンを介して脳に働きかけ、眠気を誘発します(※6)。
細菌やウイルスに感染した際に免疫細胞等から分泌されるインターロイキン1β(IL-1β)、腫瘍細胞壊死因子 (TNFα)にも睡眠作用があり、感染後の睡眠は治癒を早めます(※5)。
最近(2018年6月)、筑波大学の柳沢正史教授らのチームによるマウスにおける網羅的研究で、覚醒が続くほどリン酸化の割合が高くなるタンパク質が80種類も発見されました。注目すべきはこれらのタンパク質のうちの実に9割近くの69種類がシナプスに存在していたことです。これらのタンパク質のリン酸化がシナプスの神経伝達を抑制して眠気をもたらしている可能性があります(※7)。

4.覚醒を支える物質(覚醒物質)

眠気を抑え、覚醒をもたらす物質を覚醒物質と呼びます。2項に登場したノルアドレナリン、セロトニン、アセチルコリン、オレキシン、ヒスタミンなどは生理的覚醒物質です。
ヒスタミンは、肥満細胞に大量に含まれ、炎症と関連が深い活性アミンですが、視床下部後部のヒスタミン神経細胞群で合成され、大脳皮質で放出されて、神経細胞のシナプス前膜に局在するH3型ヒスタミン受容体に作用して覚醒をもたらします(※5)。抗ヒスタミン剤はこの覚醒作用を抑制するため、睡眠導入剤としてOTCで市販されています。
オレキシンは、視床下部後部の覚醒中枢のオレキシン産生細胞群から分泌される分子量3500程度の神経ペプチドで、強力な覚醒物質です。オレキシンが欠乏するナルコレプシーと呼ばれる病気の患者は覚醒が維持できず、1日中強烈な眠気に襲われ、いつ、どこでも眠り込んでしまいます(※8)。このことはオレキシンが他の覚醒物質では代替できない最も強力な覚醒物質であることを示します。オレキシンは最初、摂食行動との関連が注目されましたが、摂食行動以外にも、自律神経系、内分泌系、報酬系など多様な機能とも関係していることから、オレキシンの多彩な役割は、オレキシンが個体の覚醒時間を長くする結果とも解釈できます(※8)。オレキシンと拮抗するオレキシン受容体阻害物質は、作用が自然に近い、理想的な睡眠薬として最近発売されました。ただし、先発品は半減期が10時間と長過ぎるため、覚醒後も眠気が残る欠点があり、改善が必要です。

5.睡眠と覚醒の謎は解けたか?

代表的な睡眠物質であるアデノシンの受容体を遺伝子操作で破壊したマウスでも、正常なマウスと同様に眠ることができるという報告があります(※5)。これは睡眠と覚醒のメカニズムが多くの因子が絡み合ったネットワークをなしており、1つの経路が破壊されても、他の経路が代替して睡眠や覚醒を達成できることを意味します。睡眠や覚醒に関係する因子は上記以外にも種々あります。例えば空腹では眠れず、満腹すると眠くなるのは血糖値と睡眠との関係を示します。また、喜怒哀楽のような情動に囚われていると眠れないのは、情動の中枢である扁桃体や大脳辺縁系の活性化と覚醒との関係を示します。また、強いストレス下では眠れないのは、ストレス反応系(視床下部-下垂体-副腎系、HPA軸)の活性化と覚醒との関係を示しています。更に、ヒトは使命感のような高度脳機能によって覚醒を維持し、数日間不眠不休で働くこともできます。これは脳幹や視床下部から大脳皮質への通常の上行性の睡眠・覚醒刺激とは逆の、大脳前頭葉発の下降性の覚醒刺激もあること、すなわち睡眠と覚醒のメカニズムが双方向性に機能することを意味しています。
次の第60話では、ノンレム睡眠の役割についてまとめます。

(馬屋原 宏)

引用文献
1) 村雨カレン:http://hontotsutae.blogspot.com/2016/12/blog-post.html
2)脳科学辞典:
” https://bsd.neuroinf.jp › w › title=視交叉上核 › oldid=21150, 2013
3)筑波大学:https://www.tsukuba.ac.jp/wp-content/uploads/180717sakurai-3.pdf
4)脳科学辞典:
” https://bsd.neuroinf.jp › wiki › 脳幹網様体賦活系
5)櫻井武:『最新の睡眠科学が証明する必ず眠れるとっておきの秘訣』、講談社ブルーバックス(2017)
6)脳科学辞典:
” https://bsd.neuroinf.jp › wiki › プロスタグランジン
7)筑波大学:https://www.tsukuba.ac.jp/wp-content/uploads/180613yanagisawa-3.pdf
8)脳科学辞典:
” https://bsd.neuroinf.jp › wiki › オレキシン