谷学発!常識と非常識 第62話 夢とは何か①:夢の定義と特徴
日本神経科学会監修の「脳科学辞典」から、現時点で最も妥当と思われる夢の定義を引用します:
「夢とはヒトが睡眠中に受容する、感覚・イメージ・感情そして思考の連続体であり、以下の6つの要素を有するものである:①幻覚様のイメージ体験、②物語風の構造、③断続的で不調和、不安定な奇異的知覚特性、④強烈な情動性、⑤体験していることをあたかも現実のもののように受け入れる、⑥忘れやすい」(※1)。
以下、これらの夢の要素(特徴)がなぜ生じるのかを考察します:
1.夢の要素①:幻覚様のイメージ体験
幻覚とは「覚醒中に、外界からの感覚刺激を受けていないのに、受けたように感じる、その感覚」をいいます。幻覚の具体例は幻視や幻聴です。幻覚は統合失調症では一般的症状ですが、健常人が幻覚を経験することは、泥酔中や薬物中毒を除き、通常ありません。夢は外界からの感覚入力なしに現実のように経験され、しかも内容が時間や空間や物理法則を超越していることが多い点が幻覚に似ています。夢のこのような性質がなぜ生まれるかは、①夢の材料となる記憶には、過去の自分の実体験の他に、過去に読んだ本や見た映画、考えたことなど、フィクションの記憶も含まれる、②夢が生まれるとき、それらの記憶が過去と現在、現実とフィクションの整合性なしに連結される、と仮定すれば説明がつきます。夢に論理的な整合性がない理由としては、睡眠中は論理的思考が働かないことも関係すると考えられますが、それよりも、ヒトには覚醒中でも自分の「脳内イメージ」を無批判に真実と信じ込む習性があることから(下記第5項参照)、夢という「脳内イメージ」も最初からそのまま受け入れている可能性が高いと考えられます。
2.夢の要素②:物語風の構造
夢が通常、自分を主人公とするストーリーを持つ理由は、ヒトが夢をみているとき、ある程度の意識と強い感情を持ち、また、「夢の世界」を「現実の世界」と信じ込んでいるため(下記第5項参照)、次々に変化する夢のシーンに一喜一憂しながら、探索したり、闘ったり、逃げたりなどの行動をすることで、自ら夢のストーリーを作っていくため、と考えられます。
夢のストーリーは劇的で意外性に富むため、多くの著名な作家が夢を題材にした小説を書いています。国内作家に限っても、夏目漱石の「夢十夜」、芥川龍之介の「夢」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、夢野久作の「ドグラ・マグラ」、安部公房の「笑う月」、筒井康隆の「パプリカ」など多数あります。
3.夢の要素③:断続的で不調和、不安定な奇異的知覚特性
上記1項の「幻覚様イメージ」と2項の「物語風の構造」とが同時に起こればこの表題のような特性を持った夢が生まれると考えられます。2項で挙げた有名作家の夢小説はすべて、このような要素を持っています。特に夢野久作の「ドグラ・マグラ」や筒井康隆の「パプリカ」は、どこまでが夢で、どこからが現実か読者にはわからなくなるように書かれており、奇妙な小説として特に有名です。
4.夢の要素④:強烈な情動性
レム睡眠時には呼吸数、心拍数、血圧が上昇し、不規則に変動します。この現象はヒトが劇的な夢を見ることが多く、夢の中の意識がその「夢の世界」を現実と信じ込んでいるために(下記第5項参照)、幸福な夢の場合はセロトニン、ドーパミン、エンドルフィンなどのいわゆる「幸せホルモン」が分泌され、危機的な夢の場合は視床下部-下垂体-副腎系が活性化され、コルチゾールやアドレナリンなどのいわゆる「ストレスホルモン」が分泌されるため、と考えられます。これらのホルモンの分泌が、レム睡眠中に行われる「生理的機能のシミュレーションの可能性があるという仮説は、第61話5項で紹介しました。
5.夢の要素⑤:体験していることをあたかも現実のもののように受け入れる
ヒトは普通、どんなに奇妙な内容の夢であっても、夢の中では、体験していることを現実のものとして受け入れます。例えば私は空中浮揚する夢を見たことがありますが、そのとき自分が空を自由に飛べることを喜びながらも、一方ではそれを自然なことのように受け入れていました。ヒトがどのような内容の夢でも自然に受け入れる理由は、ヒトが「夢の世界」を「現実の世界」と信じて疑わないため、と考えられます。そこで、ヒトが「夢の世界」を現実と思い込む理由を改めて考えます。
我々は普通、自分の目の前に「現実の世界」が広がっていると信じています。その現実世界は自分で見たり、指で触れたり、歩き回って確認できます。しかし、その「現実の世界」に関わる我々の「イメージ」は、自分の目や耳や手足などの感覚器から入力された情報が電気信号に変換されて大脳に伝わり、そこで再現されたものであり、全て「脳内イメージ」です。ヒトは進化の結果、「現実の世界」に非常に近い(と思われる)「立体的イメージ」を脳内に再現できるため、我々はこの「脳内イメージ」を「現実の世界そのもの」と思い込んでいます。「現実の世界」とその「脳内イメージ」は別物なので、この思い込みは「錯覚」なのですが、ヒトはそれが錯覚であることを意識していません。すなわちヒトには「現実の世界」のコピーである「脳内イメージ」を無条件に「現実の世界そのもの」と信じ込む習性があります。夢を見ているときのヒトには「自分は今睡眠中であり、今見ているのは夢であって現実ではない」と客観的に判断する能力が普通ありません。そのためヒトは夢という「脳内イメージ」も、無条件に「真実の世界」と信じ込むしかありません。そのためヒトは夢の波乱万丈の展開に一喜一憂しながら行動するしかないと考えられます(まれに「自分は今夢を見ていると思いながら夢を見ている」という人もいますが、文献によればそれは明晰夢と呼ばれ、覚醒直前の、意識が半睡半醒の朦朧とした状態でおきる例外的現象のようで、残念ながら私にはその経験がありません。
6.夢の要素⑥:忘れやすい
「夢は忘れやすい」というのは、現実の出来事の記憶と異なり、夢は目が覚めるとすぐに忘れてしまう」という意味と思われます。しかしこれは当然のことです。「現実の世界」の記憶は覚醒中の記憶であるのに対し、夢の記憶は睡眠中の記憶だからです。例えばヒトが講演を聞いているときに居眠りをすると、眠っていた間の話は全く記憶に残っていません。これを考えると、同じ睡眠中でもヒトが夢の内容を少しは覚えていることのほうがむしろ不思議です。しかし、この違いは、ノンレム睡眠とレム睡眠の違いで説明できます。睡眠中は外部情報の入力を遮断しており、ノンレム睡眠中は夢も殆ど見ないので、「脳内イメージ」は殆ど形成されません。これに対し、レム睡眠中は脳が活発に活動し、夢という「脳内イメージ」が盛んに形成されています。ヒトは夢という「脳内イメージ」も「現実の世界」と思い込んでおり、また夢を見ているとき、ある程度の意識や会話能力もあって、夢の世界の中で状況に合わせて行動します。その夢の中での出来事や自分の行動を記憶する機能もある程度働いているので、その記憶が後で夢として想起される、と考えられます。ただし、睡眠中の記憶能力は概して覚醒中よりも弱いため、記憶がもともと薄く、忘れやすいと考えられます。ただし、前述の空中浮揚の夢のように、強烈な印象を受けた夢は生涯忘れられない記憶となることもあります。
以上をまとめると、前掲の夢の定義に含まれる特徴は、夢が生まれるときに、夢の材料となる記憶が時間的、空間的、論理的整合性が吟味されずに連結され、しかもヒトは、どのような内容の夢でも、目が覚めるまでは夢を現実として受け入れるために生じる、と説明できます。
第63話では夢を見る理由に関する諸説を紹介します。
(馬屋原 宏)
引用文献