谷学発!常識と非常識 第63話 夢とは何か②:夢を見る理由

最初に「ヒトはなぜ夢を見るのか」に関する既存の仮説5つを紹介した後、筆者による新しい仮説を提案します。

1.「夢は本能的衝動の開放」説(精神力動仮説)

20世紀初頭に一世を風靡した精神分析家ジークムント・フロイトの「夢は衝動の開放である」とする学説の流れをくむ仮説です。この仮説によれば、夢は欲望の発散であり、夢の中で現在の問題や葛藤が発散的に処理される結果、ヒトは夢を見た後の覚醒中に、より適応的に過ごすことが可能になると考えます(※1)。この仮説で説明可能な分かり易い例は、若い男性が性的な夢を見て射精する「夢精」です。また、近親者と死別した直後の遺族が見る「悲嘆夢」もその1例です。近親者と死別した遺族は死者との再会を強く望みますが、この願望が現実の世界で実現することはありません。しかし彼らの多くは夢の世界で死者と再会し、生前と同様に故人と会話し、行動を共にすることで、遺族の悲しみは癒されます(※2)。この仮説の欠点は、脈絡のない夢や危機的状況に陥る夢が多い理由が説明困難なことです。

2.「シミュレーション(模擬演習)」仮説

1978年にジュベーが提唱した仮説で、脳はレム睡眠中に記憶貯蔵庫から情報を読み出して生存戦略に必要な行動のプログラムを作り、さらに、出来上がったプログラムが実際に実行可能なものか、脳内でシミュレーションを行うとし、夢はこれらの過程で生起すると説明します(※1)。この仮説は、自分が危機的状況に陥る夢が多い理由を、「脳が行うシミュレーションである」と説明できます。この仮説はまた、ヒトがレム睡眠中に骨格筋を強く不動化しておく理由を、「シミュレーション・プログラムのテスト指令が誤って現実世界での行動を引き起こすと危険だから」と説明できます。この仮説の欠点は、1項でいうような本能的欲望の発散的な夢の場合に行動プログラムの作成やそのテストが必要とは考えられない点や、荒唐無稽な夢が多い理由の説明が困難な点です。

3.「活性化ー合成化仮説」

1977年にホブソンらにより提唱され、1988年に「活性化ー合成化仮説」としてまとめられた仮説です。この仮説は夢と急速眼球運動(レム)の因果関係を逆転させ、「レムが先に起こり、その刺激で夢を見る」と説明します(※1)。すなわち、「レム睡眠中に脳幹内部からランダムに発する神経信号が動眼筋にレムを引き起こし、レムの刺激が大脳皮質を活性化し、大脳皮質が視覚記憶貯蔵庫から視覚記憶をランダムに引き出し、これらの感覚心像が二次視覚野で編集され、ストーリー化したものが夢である」と説明します(※1)。この仮説は脈絡が無い夢が多い理由をうまく説明しますが、欠点は、肝心の「レムが夢に先行する」ことの証拠がないことです。また、ときには理路整然とした夢もあることや、本能発散的な夢や危機的状況に追い込まれる夢が多いことも説明困難です。

4.「感覚映像-自由連想仮説」

1992年に大熊によって発表された仮説であり、ボブソンらの仮説の欠点を一部改良しています。ボブソンらの仮説では、眼球のレム運動のたびに全く新しい映像が生成されことになり、それでは現在見ている映像とは無関係な映像が次々に合成されるため、夢としての文脈の維持が困難になります。そこで大熊は「最初の急速眼球運動(レム)で取り出される映像は偶発的に決定されるが、次からはこの最初の映像と連想関係にある記憶が取り出しやすい状態が準備され、次発のレムでは初発の映像と関連する映像が取り出されるので、夢の構成と文脈のある程度の連続性が生まれる」と説明します(※1)。この仮説は、荒唐無稽でありながら、ある程度の脈絡もある夢もあることが説明できます。しかし、その他の欠点についてはホブソンらの説と同じです。

5.情報科学的仮説

櫻井武氏は2017年の書籍の中で、夢を見る理由に関する新しい仮説を提案しています(※3)。彼はレム睡眠時に大脳辺縁系や扁桃体のような情動を司る脳の部分が活性化されることに注目し、レム睡眠中に記憶の重み付けと整理が行われており、この重みづけに働くのが「快・不快」などの情動であると考えました。彼はこの過程が情報科学におけるファイルの階層化やサムネイルの付加に相当すると考えています。そして、その作業過程が覚醒後に夢として想起される、と説明します(※3)。この仮説の欠点は、この仮説を支持する証拠がないこと、また、本能発散的な夢に記憶の重みづけが必要とは考えられないこと、古い記憶は重みづけが既に済んでいると思われることなどです。

6.「夢はレム睡眠中の意識の遊び」仮説

この仮説は私の一存で提案するものです。提案の理由は、上記5つの仮説はどれも一部の夢しか説明できないこと、またこれらの既存の仮説では説明困難な夢を私自身がよく経験するからです。そのような夢の1例を、全く創作を加えずに以下に紹介します

「夢は友人と二人で国際空港様の巨大な建築物の前に到着したところから始まります。建物前の広場には観光バスがずらりと並んでいます。二人が建物の中に入ると、広いロビーは人々でごった返しています。建物の奥にゲートがあり、その上にプレート表示があります。近づいてみるとそこには「時空間出発ゲート」と表示されていました。二人は知らないうちに、タイムトラベルが商業化されていたことに驚きますが、その日はタイムトラベルに出発するだけの心の準備ができておらず、出直すことにしました。次のシーンでは、私は時空間旅行機に乗り込んでいて、タイムトラベルが既に始まっていました。機内はレトロ調の木造で、座席は青いビロード張り、窓は四角です。なぜか私以外に乗客はいません。やがて左前方から球体の星が近づいてきました。理由もなくそれは地球と思われました。近づいて来たその地球はなんとハリボテで、後ろの方が破れて中の骨組みが見えている! それを見た瞬間、ショックで目が覚めました。」

この夢から分かるように、ヒトはレム睡眠中でも「意識」を持っています。この「レム睡眠中の意識」(以下、「レム意識」)は、睡眠中であるにも関わらず「夢の世界」を観察し、字を読み、会話をし、上記の夢の「オチ」の意味を理解する程度の判断力を持っています。上記1~5の仮説には、この「レム意識」に言及したものが1つもありません。本仮説ではこの「レム意識」が夢の形成に深く関係していると考えます。夢はこの「レム意識」がレム睡眠中に湧いてくる雑念のような「脳内イメージ」の1つを「真実の世界」と思い込むことから始まります(第62話5項参照)。この「レム意識」は「夢の世界」を単に傍観するのではなく、その中で行動し、自分を主人公とする夢のストーリーを自ら創造します。この「レム意識」は覚醒時と異なり、「夢の世界」では理性や常識の束縛を受けずに行動できます。夢の中で時間的、空間的整合性や、ときに物理法則までも無視される理由はこの「レム意識」の行動の自由にあると説明できます。その一方、「レム意識」が「夢の世界」で行動して夢のストーリーを作ることが夢にある程度の脈絡をもたらしていると説明できます。この仮説により、我々の夢があるときは本能のままに行動し、あるときは自らを危機的状況に追い込み、あるときは空中浮揚し、タイムトラベルを試みるなどと極めて多様であることを説明できます。米国のジャーナリスト、マイケル・フィンケルも次のように書いています:

「レム睡眠にまつわる最も驚くべき発見は、外界からの感覚情報が断ち切られても、脳が自律的に働き、独自の世界を構築できるとわかったことかもしれない。レム睡眠は、いわば脳の遊びの時間だ。レム睡眠は人間が最も知的で、洞察力に富み、創造的で自由になれる時間ともいえる。それはまさしく生の実感にあふれた時間だ。「なぜ人間は眠るのか。」レム睡眠について知ると、この問いかけ自体が間違っていたのかもしれないと思う。実は、起きているのは、食べる、子孫を残す、天敵と戦うといった、生存に必要な務めをさっさと済ませ、ぐっすり眠るためなのかもしれない」(※4)。

(馬屋原 宏)

引用文献

1) 日本睡眠学会:夢の理論、http://jssr.jp/kiso/hito/hito10.html
2) 高森淳一:https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=102906
3) 櫻井武:『睡眠の科学』(改訂新版)、講談社ブルーバックス、(2017)
4) マイケル・フィンケル:https://style.nikkei.com/article/DGXMZO33427100W8A720C1000000/?page=2