くすり(1) 創薬を生み出す環境とは何か

日本薬科大学一般薬学部門 土井孝良

 抗体医薬品がバイオ医薬品の主流となり、グローバルな大型商品として展開している。しかし、抗体医薬のターゲットとする抗原の数にも限りがみえてきた。核酸、新規製剤、希少疾患薬、ドラックリポジショニングなど、いろんな分野で新しい展開はみえるが、大木に育つためにはさらなるイノベーションが求められる。現在、薬科大学で教鞭を取る身ではあるが、製薬企業で33年間医薬品の研究開発に携わってきた経験から、日本における創薬を生み出す環境とは何かを考えてみることにした。

  新薬開発を担当する企業の研究者としてまず大切なのは・・・・

「給与が確保され、かつ安定していることである」。この一文を読んで、がっかりした方、さらには憤りを覚えた方もおられるかもしれない。気合が入っていない!?

企業の研究所に入った頃、独身だった頃を思い出す。野球で言う「グランドに金が落ちているんや。それを取りに行かんかい!」ではないが、治療薬のない疾患のために新薬を作り出す、そのためのデータを少しでも早く出すことを目的に研究に打ち込んでいた。実験で電車が終電になろうが、土日に出勤しようが苦痛にはならなかった。生活の安定とかを考えたことはなかった。趣味といえば心の通じる友人とお酒を飲みに行くぐらいで、ファションにも、車にも、フランス料理にも興味はなかった。企業から振り込まれるボーナスは自費で学会に行く時に使う以外あまり行き場所がなく、いつの間にか銀行に蓄積していた。

  ところが、結婚し、子供が出来ると状況が変わった。ローンで住居を購入すると、さらに厳しくなった。コンスタントに家庭に給与をもたらすことが必須となったのである。住宅ローンを確実に返済する必要がある。そして、子供の学資、教育費は何よりも優先される。お父さんのおこずかいには厳しい視線が注がれる。しかし、新薬の研究開発業務に手は抜けない。限られた時間と体力の限り全力で取り組んだ。その結果として、薬学の博士号も取ることが出来た。このころ、一番恐れていたことは何か。なかなか思うようなデータが出ない、研究が予定通り進まないことは悩ましかった。しかし、一番恐れたのは会社が実力主義、実績主義に基づく評価システムを導入したことにより、給与が大きく落ち込むことであった。その結果として、住宅ローンが払えなくなる。グランドに落ちている大きなお金を得ることよりも、昇進することよりも、このことを心配した。実際、この恐れが発生したこともあった。ボーナス払いのローンが焦げ付きそうになったのだ。銀行に話を聞きに行って、ローンの返済計画は簡単には変えられないことを知った。親にお金を借りてその年はしのいだ(実際はそのまま返済せず、もらってしまったが)。

  イノベーションを起こす研究には、新しいコンセプトへのチャレンジが必要である。しかし、新しい、経験したことがない分野の研究者として独り立ちするには、ある程度の時間が必要だ。多くの失敗のプロセスも覚悟しなくてはいけない。世界と並ぶレベルの知識と技術の習得、さらに限りないチャレンジと多くの失敗を経験し、それを踏み台に一歩踏み込んだ結果、薬の神様は不思議なところで微笑んでくれたりする。ところで、この間の給与はどうなるのであろうか。何年も失敗続きで有効なデータ・成果なしでは当然給与は下がる。妻は動揺し怒る。困る。

「子供の学費をどうするつもり、そしてこの家を手放すつもりなの!仕事、ちゃんとやってるよね」

「ちょっと待ってくれよ」

こういう事態は避けなくては行けない。

  このころより会社の研究計画の進め方が変わってきた。すべての研究の実施にあたっては、研究計画書を作成・提出し、承認されることが必須となったのである。闇研究とか個々の研究者の勝手な研究活動を防ぐための「見える化」の推進であった。今までは初めての実験をする前には予備的な検討を実施し、めどが立った時点で正式に実験を進めていた。しかし、このやり方は許されなくなった。文献を深く読み込み、調査し、思考すれば完璧な実験計画書が作成できるはずだ。そうすることで効率的な研究活動を可能なる、ということであった。実験はやってみないとわからないという経験を何度もしてきたので、不安を感じた。

 しかし、このやり方にも良い面があることも分かってきた。作成された実験研究計画書は、その内容を会議で承認されることが必要である。多くの研究者が会議で意見を出し、考え尽くしてその研究計画を承認する。会議で決めた決定事項であり、その時点で研究計画の失敗は予見できなかったのである。この実験計画が失敗しても誰か特定の個人が責められることはない。

人事評価に関していえば、新薬開発のステージを上げた化合物の数で評価するということであった。短期的評価だ。しかし、このような評価方法には懸念がある。新薬開発においては、この化合物が将来薬になる可能性、ドラックライクネスを考慮しながらの見極めが大切である。次のステージに上がった時にどの様に展開するか(例えば、非臨床から臨床)、さらに市場に出た後の可能性なども頭に入れておく必要がある。このような思考が忘れられないだろうか。

たとえば、ある新規化合物の承認申請を前にして、安全性評価として不整脈発生のリスク評価のデータを付け加えることが望ましい、というFDAからの事前通達があったとする。現在のデータだけで承認申請すれば、却下される可能性が高い。しかし、ここで追加試験をやっていたら申請が最低2年は延期になる。この化合物の承認申請の遅延は人事評価の大きなマイナスとなる。ここは、現在有するデータの解釈を上手く表現して、予定通り最短の承認申請に勝負をかけようと書類を提出した。開発計画通りの承認申請、どんな結果になろうと大きく責められることはない。承認の是非は誰にも分からないのだから。開発計画が遅延したという事態は避けなくてはならない。しかし、開発は進んだものの、承認を得ることはできなかった。人事評価としての目標は達成したとしても、会社のために最良の結果であったとはいえない。

  医療機器を中心に開発・販売を展開する会社の方と雑談をしていた時に聞いた話を思い出した。「当社の取締役会議で、全員が賛成したプロジェクトで製品に繋がったことは一度もないんですよ。大きな製品になるのは、“そんなの無駄だ、止めてしまえ”といわれても担当者が強引に進めたプロジェクト、というのが多いんです。取締役会のメンバーの全員が賛同するプロジェクトというのは、一昔前のコンセプトであって、今まで誰かが考えトライして駄目だったから製品になっていないという気がするんです」。成程と思った。それであれば、皆に承認された研究計画も同様なのではないかと不安になった。確かに、数年前に「皮膚細胞に遺伝子を組み込んで多能性を有する細胞を作りたい」という研究計画を出したら、非常識扱いされて門前払いになるかもしれない。

  最近、日本の中堅の製薬メーカーの人事担当者とお話する機会があった。その方が言われるには、「当社の人事管理の基本は従業員の雇用と生活を守ること」なのだそうだ。業績とか能力とかが人事管理の基本、というのが最近の常識と思っていたので、今でもこのような日本的コンセプトで運営している会社もあるのだと感心した。現在、多くの日本の製薬会社が右肩下がりの業績で苦しんでいる中、この中堅規模の製薬企業は着実に成果を出し、成長を続けている。この会社に所属し、もう一度創薬に取り組んでみたいという思いが心をよぎった。

(日本薬科大学教育紀要(創刊号、平成27年3月31日発行)に掲載された原稿を改変した)