こころ(1)英語ヒアリングの実力とその後の人生

日本薬科大学一般薬学部門 土井孝良

 先日、武田薬品工業㈱に技術・研究職として入社したメンバーによる同期会があった。昭和56年の入社、29名だった。私は現在は大学に所属しているが、そのメンバーのひとりである。入社当時、全員が武田ファミリーに加わった、家族になった感じがあった。そういう時代だったのだ。入社時の1ヶ月間の研修では研究所、工場、物流センターなどを宿泊で回った。各部署の会社の先輩や同僚とのお酒の宴も毎日のごとくであった。同期入社のメンバーで多くの時間を一緒に過ごし同じ経験をしたせいか、大学の同窓のような趣があった。

 久しぶりに同期会を開催するという連絡を受けた時、懐かしさを覚え、当時の資料があるか探してみた。すると、入社時に受けた英語のヒアリングの成績が出てきた。実は、これは私を落胆させた思い出なのだ。研修期間中に英語ヒアリング試験があり、その成績は上位からA、B、Cにランクをつけて発表された。そして、各グループごとに集まって相当するレベルの英語研修を受けるということであった。私はBグループには入ると思っていた。しかし、結果は最低のCグループ、このふがいない結果に愕然とした。目の前が少し暗くなったと記憶している。

 Aグループに入ったメンバーが誇らしく、輝いているようにみえた。これからは世界に飛躍する時代なのだ。そのためには英語力が必須である。Aグループのメンバーの英語ヒアリング力の高さが明確に示されたのだ。「なんか英語のヒアリングのスピードが遅くて、戸惑っちゃたよ」という声が聞こえてきた。Aグループ同士では、お互いの会話を英語で実施しているメンバーもいた。それに対して、集まってきたCグループのメンバーといえば、人の好さそうな、快活ではあるが軽そうなキャラクターばかりであった。ボーとしている人もいた(これは私のことです)。「やっぱりお前はCか、わかる、わかる」とか「お前にだけはそんなこと言われたくないよ・・」など、からかい気味の会話が飛び交っていた。「俺、ヒアリングは苦手なんだよね」と自虐気味の人もいた。何となく「同期の桜」を歌いたいような気分であった。それでも、みんな楽しそうに英語の研修を受けた。英語の成績が一番下のクラスであることを全員が認識していたので、リラックス出来た。英語を聞いて意味が分からなくても、カッコを付ける必要がなかった。今思い出しても、懐かしい気楽なメンバーだった。

 この英語ヒアリングのCのメンバーは今どうしているのだろうか。何故か気になり調べてみることにした。まだ武田薬品の中で活躍していたのが、研究所長1名、工場長1名、室長1名の計3名であった。社外に出て子会社などの社長になったのが2名、取締役が1名の計3名、大学教授が3名、無職が1名、計10名であった。そのポストで大丈夫なのか、やっていけるのかと少し心配な人もいた。しかし、大丈夫なのだ。実際、そのポストで仕事をして成り立って、実績を上げているのだから。私が入社した年の技術・研究職採用は、人数が少なかった。一人一人の価値が高かったからかもしれないと思った。とにかく、みんな活躍していることが分かり、少し嬉しくなった。

 それでは、AグループとBグループのメンバーはどうしているだろうか。誰がAグループでBグループなのかが分からないので、一緒に集計してみることにした。AあるいはBグループのメンバーで、武田薬品の中で研究所長、工場長、室長レベルで活躍している人はと調べてみると・・・誰もいない! 0名であった。武田薬品あるいは子会社などの他社で働いている人が14名、大学教授が1名、不明が2名、そして逝去が2名、計19名、人数はあっている。今回の調査で、同期入社の二人が亡くなっていることがわかった。二人ともナイスガイだった。

 入社時に英語ヒアリングが駄目だったCグループのメンバーの方がはるかに活躍しているということが分かった。こんなことってあるのだろうか。念入りに調べたが、1,2名のデータに誤りがあるかもしれない。しかし、本質的な違いはない。同期入社の29名のメンバーの中に帰国子女や長期に海外で生活した経験のある人はほとんどいなかったと思う。入社時に英語ヒアリングの実力が高かった人は、学生時代に英語のテープを聞いたり英会話学校に行ったりして、コツコツと努力してきた人のはずだ。

 以上の結果は偶然なのか、それとも真理なのか?・・・分からない。

(日本薬科大学教育紀要(第Ⅲ巻、平成29年3月31日発行)に掲載された原稿を改変した)