谷学発!常識と非常識 第64話 生命の起源と進化:ウイルスの話①

生命の発生と進化を扱う本シリーズでは、最初に3回シリーズでウイルスを取り上げます。その理由は、①生命を定義する際の最大の問題はウイルスが生物かどうかであること、②現在(2020年6月末)、世界は新型コロナウイルスの蔓延という100年に1度の大災害に見舞われつつあることです。

1.ウイルスとは何か

ウイルスとは「DNAまたはRNA遺伝子を持ち、他種の細胞内に寄生して増殖する物体」と定義できます。ウイルスは自身を構成するタンパク質をコードする最小限の遺伝子をもつだけで、代謝のための遺伝子を持たず、宿主細胞の資源や代謝系を利用して増殖します。DNAウイルスは概して変異しにくく、同じワクチンが毎年使えるため高い有効性を示します。例えば、DNAウイルスである天然痘ウイルスは1977年に世界から根絶されました。一方RNAウイルスは変異しやすく、新型コロナウイルスのような新型ウイルスが次々に発生します。

2.ウイルスの基本構造

左図(文献1より引用)はウイルスの基本構造を示します[エンベロープ(被膜)ウイルスについては後述]。多くのウイルスはゲノム核酸がキャプシドと呼ばれるタンパク質の殻に包まれた構造をしています。キャプシドはキャプソメアと呼ばれるタンパク質粒子から構成されます。
キャプソメア粒子が正20面体に並んだものが左の球状ウイルス(例:ポリオウイルス)、らせん形に積み重なったものが中央の棒状ウイルス(例:タバコモザイクウイルス)であり、右のバクテリオファージは、正20面体のキャプシドに加え、細菌への固定装置や細菌の厚い細胞壁を貫通してゲノム核酸を細菌内に注入するための筒状の装置を持ち、NASAの月面着陸船に似た構造をしています。

3.コロナウイルス

コロナウイルスの最大の特徴は、上記3種のウイルスと異なり、脂質二重膜のエンベロープ(被膜)をもつことです。形が飾りのついた王冠(コロナ)に似ているためコロナウイルスと呼ばれます。


左図(文献2より引用)はコロナウイルスの基本構造を示します。表面にはスパイクタンパク質(S)の突起が被膜(脂質二重膜)から突き出しており、被膜には他に膜タンパク質(M)、エンベロープタンパク質(E)を持ちます。被膜はヌクレオキャプシドタンパク質(N)に保護された、らせん状の1本鎖RNAゲノムを包んでいます。
コロナウイルスの感染時にはSタンパクが標的細胞のアンジオテンシン変換酵素2(ACE-2)受容体と選択的に結合し、細胞に取り込まれた後で、ウイルスの被膜が取り込み小胞の膜と融合してウイルスゲノムが細胞質に放出されます(※3)。この被膜はウイルスが小胞体(ER)で形成される際にERの膜を利用したもので、宿主細胞由来です。増殖後のウイルスはER、ゴルジ体、ゴルジ小胞を経て外分泌様式で宿主細胞から放出されます(※4)。このようにウイルスは、細胞への侵入、ゲノムの増殖、被膜形成、細胞からの放出までの全てのプロセスで細胞の機能を徹底的に利用しています。

4.新型コロナウイルス

ヒトに感染するコロナウイルスは7種類知られており、うち4種類は一般的な風邪の症状を引き起こすウイルスですが、多くは軽症です。残りの3種類は、いずれも今世紀になってから出現したパンデミックな(=世界的感染拡大を引き起こした)ウイルスです(※2)。
パンデミック・コロナウイルスの最初の事例は2002年11月に中国広東省に発生し、翌年収束した「重症急性呼吸器症候群コロナウイルス」(SARS-CoV)(以下SARS)です。SARSは30を超す国や地域に拡大し、2003年12月時点で症例数は8,069人、うち775人が重症の肺炎で死亡しました(死亡率9.6%)。SARSウイルスは食用のコウモリからヒトに感染したとされています(※2)。
2つ目の事例は2012年にサウジアラビアで発生し、未収束の「中東呼吸器症候群コロナウイルス」(MERS-CoV、以下MERS)です。MERSはヒトコブラクダの風邪ウイルスです。MERSは27の国と地域に拡大し、感染患者数は2,494人(2019年11月30日時点)で、うち858人が重症の肺炎で死亡しています(死亡率34.4%)。MERSは主として院内感染で拡大し、市中感染は知られていません(※2)。
3つ目の事例が2019年末に中国湖北省武漢に発生したSARS-CoV-2、通称「新型コロナウイルス」です。2003年に発生した同名の‘初代’SARS-CoVと区別するためSARS-CoV-2型と呼ばれます。病名はCOVID-19で、Corona virusの「COVI」、Diseaseの「D」、発生年「19」を並べたものです。SARS-CoV-2の起源は生物兵器説を含め諸説あって確定していません。発生当初、中国政府は肺炎の集団発生を最初に報告した医師(のち感染死)を処罰し、ヒト-ヒト感染はないと公表するなど初期対応を誤り、武漢市で最初の感染爆発が起き、続いて韓国、イタリア北部、西ヨーロッパ諸国で爆発的感染が起き、遅れて米国、ロシア、ブラジル、インド、アフリカなどで感染者が急増中です。
最初の患者の報告から半年後の6月末現在、188の国と地域に拡大し、世界の感染者数は1000万人を超え、死者数は50万人を超えました(2020年6月30日付日経新聞)。国別では米国の感染者及び死者数が最も多く、約4分の1を占めています。COVID-19の重症化率は2割程度(死亡率約5%)で、8割を占める軽症・無症状感染者が感染を拡大しており、感染者・死者はなお急増中です。

5.東アジアではなぜ感染者数・死者数が少ないのか?

全く不可解なデータがあります。各国の人口100万人当たりの死者数を比較しますと、ベルギー(786人)をトップに、スペイン、イタリア、英国、フランスが400人以上、米国が約300人であるのに対し、日本(6人)、韓国(5人)、中国(3人)、台湾(0.3人)、ベトナム(0人)と、東アジアの死者数が、欧米先進国の死者数の百分の1以下にとどまっていることです(2020年5月20日付日経新聞)。これを日本人の生活習慣などと結びつけて説明する評論家がいますが、東アジア各国の死亡率の順位を見れば、そのような自画自賛が誤りであることは明らかです。
2020年5月に雑誌Cellに発表された米国のGrifoni らの論文が上記の現象を説明するかもしれません。彼らは、①SARS-CoV-2に感染しても発症しなかった人たちの血液中に、SARS-CoV-2の4種の蛋白質抗原に対する抗体が形成されていること、および、②凍結保存されていた流行前の健康人の血液を調べ、その40~60%でSARS-CoV-2反応性T細胞が検出されたこと、すなわち、「一般的な風邪コロナウイルスとSARS-CoV-2の間の交差反応性T細胞認識が存在する」と報告しました(※5)。これらの結果は、①新型コロナウイルスワクチンの製造に希望が持てること、②通常の風邪コロナウイルスに対する免疫記憶がSARS-CoV-2に対する免疫を強化する可能性を示唆します。あくまでも私見ですが、東アジア各国でSARS-CoV-2の感染率や死亡率が欧米よりも低い理由は、これらの地域の人々がもつ一般的な風邪コロナウイルスに対する免疫の地域差と関係している可能性があります。
その一方で、コロナウイルスの脂質二重膜はアルコールや石鹸などの洗剤で破れて感染力を失うので、ワクチンの完成までは、アルコール消毒や手洗いの徹底が安価で有効な感染防止策の1つになると考えられます。(次の第65話ではヒトゲノムとウイルス遺伝子との関係について述べます。)


(馬屋原 宏)

引用文献
1)中屋敷均:https://synodos.jp/science/20043
2)国立感染症研究所:https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/9303-coronavirus.html
3)田口文広・松山州徳, ウイルス (2009), 59(2),215-222, http://jsv.umin.jp/journal/v59-2pdf/virus59-2_215-222.pdf
4)Modia:https://modia.chitose-bio.com/articles/virus_01/
5)Grifoni, A. et al., Targets of T cell responses to SARS-CoV-2 coronavirus in humans with COVID-19 disease and unexposed individuals, Cell (2020), 181, 1489–1501
https://doi.org/10.1016/j.cell.2020.05.015