こころ(2) 武田薬品での安全性評価の想い出

2020.7.12
日本薬科大学一般薬学部門
土井孝良

武田薬品工業㈱医薬研究本部で33年間働き、新薬の研究開発に取り組んだ。定年より少し前に退職し、現在、日本薬科大学一般薬学部門に教授で勤めて7年目になる。教員生活は予想していたよりもはるかに大変である。しかし、これからを生きる学生の方々の人生に少しでも貢献できればと、微力ながら奮闘し、毎日全力で過ごしている。大学に勤めるようになって、他の製薬会社の研究員の方々とお話をする機会も増えた。会社にはそれぞれ会社カラーがあると実感した。私が勤めていた当時の、武田薬品での安全性評価の想い出を書いてみたくなった。

私が武田薬品で新薬の研究開発に携わっていた頃の新薬開発体制はリレー方式と呼ばれていた。新薬はターゲットの選定から始まり、基礎研究、スクリーニング系の確立、リード化合物の最適化、医薬品候補化合物の選択(薬理、動態、安全性、物性、規格・分析、製剤など)、臨床試験、臨床製剤、工業化研究、製造販売承認申請、適合性調査、承認、販売、市販後調査と進む過程で、全ての部門が最高の仕事をしなければ市場には出ない。この過程で、自分の専門領域の仕事が終わったら次のステップの専門領域に渡すというのが武田のリレー方式である。従って、誰がこの薬を創ったというスターの研究者は発生しない。

研究者は自分の専門分野に特化しているので、オール武田で薬を創ったという形になる。私だったら薬物動態あるいは安全性評価研究だ。もちろん、臨床試験で生じた専門領域に関する問題や新薬承認申請時での追加試験などの対応はする。しかし、申請自体はその担当の方に任せ、変な口を出さない。何でこれが出来たかというと、自分の領域以外の部門を信頼していたからだと思う。というよりも、他の部門を信頼している・・・とか考えたことはなかった。他の部門がそれぞれの専門領域で高いレベルの仕事をするのが当たり前だろう、という感じだ。自分の専門領域に関しては、この化合物を市場に出すことが出来るのかということを長期的に考えて仕事をした。いくら開発のステップを進めても、途中でドロップしたら意味がない。時間とコストの大きなロスになる。上司による評価も給与もあまり気にしなかった。いい仕事をしていれば、誰かが見ていてくれるという気持ちである。上司にもおかしいと思うことは、割とはっきりと言っていた。正論と思うことを言える環境だったのだと思う。若い頃の自分を振り返り、何も分かっていないのに偉そうなことも多々言っていたかもしれない。今思うと身のすくむ思いだ。煙たい部下だったかもしれない。研究所に同期入社したメンバーで、大学に移った人以外で、50歳前に途中退職した人は一人もいなかった。途中で会社を辞める、あるいは辞めないといけない状態に誰も至らなかったのだと思う。

安全性研究所時代の思い出を一つ書いてみる。非臨床の安全性評価では、化合物を繰り返し動物に投与した時の毒性評価が臨床試験(フェーズI)に進めるか否かの重要なメルクマールの一つになる。その時の私の担当は、化合物Aのマウスにおける4週間経口投与GLP毒性試験の試験責任者であった。マウスで重篤な毒性が観察されず、毒性を発現する投与量と薬効用量の間に充分な安全域があれば臨床試験に進めることが出来る。この試験では、軽度であったが眼科学的検査で高用量群に統計学的に有意な毒性所見がみられた。眼に毒性が出たということは、化合物Aの開発中止を考える必要に迫られる。

その時、眼科学的検査を担当していた技術者S氏が、目に毒性所見が観察されたマウスのケージ図を突然持って来た。いわく、「毒性所見がみられたマウスのケージは全て天井の蛍光灯に近いところに観察されている」ということだった。当時は若干旧式の動物施設だったし、マウスで反復投与試験をすることはまれだった。図をみると明らかにS氏の意見が正しい、天井の蛍光灯が眼科学的所見に影響を与えたと思えた。しかし、マウスのケージ配列を見直してGLP試験を再試験するというのは大変なことである。反復投与毒性試験は、薬物の投与や動物の一般状態を観察する毒性薬理グループ、血液検査、尿検査などを担当する毒性生化学グループ、動物の剖検、病理組織学的検査を担当する毒性病理グループ、投与液の調製と分析担当グループ、トキシコキネティクスグループなどが参加する大実験である。再試験をする必要が本当にあるか、ということを各グループから厳しく問われる。それでも、今回観察された毒性所見はマウスのケージの配列に起因したアーティファクトの可能性が極めて高いと考えた。まず、QAUに説明に行き、承諾を取った。次に、研究所長に説明して再試験実施の了解を得た。最後に、安全性評価研究所の各部門責任者に説明して納得してもらい、再試験を実施することになった。その結果、眼科学的に毒性所見は再現せず、十分な安全域が確保できた。この化合物は臨床試験に進むことが許可された。その数年後、化合物Aは医薬品としての製造販売申請が承認され、市場に出た。現在も医療現場で活躍している薬になっている。

ここで振り返ってみると、技術者のS氏はなぜ自ら時間をかけてマウスケージと蛍光灯の位置の関係を調べて図を作成し、私のところの持って来てくれたのか。自分の担当の眼科学的検査をルーチンで実施したのだから、ケージと蛍光灯の位置の関係についてまで踏み込まなくても良かった。もしかしたら、これは彼のテリトリーを越えた行為だったかもしれない。次に私の立場、私は再試験をしなくても良い立場にあった。S氏が持ってきた図をみても偶然の可能性はあるのだ。GLP試験をやり直すということは、兎に角とても大変なのだ。動物室や検査スケジュールはどの部門もぎっしり詰まっている。私の立場上、S氏の申し出を却下することも出来た。しかし、S氏も私も再試験の実施に動いたのは、当時の研究所の空気が事実を追求するということにとても肯定的だったからだと思う。

この再試験を実施して、私が評価されることはなかった。むしろ、試験をやり直したのだからネガティブな評価を受けてもおかしくない。この再試験が私の評価に影響を与えたのかどうか、今は分からない。少なくとも、この再試験実施で、私もS氏もプラスの評価をされることはなかった。しかし、この再試験を実施していなければ、この化合物は市場に出ていない。

かたちこそ違え、この様なケースは化合物Aの各開発プロセスで大なり小なり生じていたと思う。各分野の担当者が発生した問題を解決し、切り抜け、その集積として新薬になったのだ。現在の武田の人事評価体制で、このような再試験の実施ができるのだろうか?自分にとってマイナス評価になるようことが推定されれば、この様な再実験は誰もしないと思う。

 次に、大学に移ってから他の製薬会社の研究者の方々とミーティングをした時の経験を書いてみたい。あるテーマについて話し合いが行われたが、なかなか話がまとまらず、最終的に司会者の方が意見を言った。しかし、司会者は現場から離れた期間が長い様で、意見の的が外れていた。私も意見を言おうと思ったが、現在は大学に身を置く身、控えることにした。しかし、ミーティングはそのまま終わりそうなので、隣にいる知り合いの研究者の方に「このまま終わったらまずいですよね」とささやいた。ところが、その方は「実力者のXさんがああいうのだからこれでいいのです」と言う。「このまま終わったら今後に悪影響が出るから、正論の意見を言って下さい」とお願いした。すると、「そんなことはみんな分かっているのです。皆あえて言わないのです」と言われる。「Xさんの発言内容がこのままだと議事録に残って、知らない人が真に受けて勝手に動き出すのでは?」と言ったが、「その場合はXさんが責任を取るでしょう」とのことであった。

少なくとも、私がいたころの武田ではこういうことはあまりなかったと思う。誰が言ったかではなく、その内容が正しいのか適切なのかを愚直に話し合っていた。おかしな話に展開したとしても、いつか必ずどこかで正しい方に軌道修正されていた。研究も人事も自浄作用が会社にあった。

 私が武田に入社したころ、いろんな部門の人が集まってよく議論をしていた。私は耳をそばだてて聞いていたのだが、そのテンションの高さにはいつも圧倒された。たとえば、他の部門と共同で仕事をする場合、得をする部門と得しない部門が発生する。A系列の化合物(陽性になる可能性が高い)とB系列(陰性になる可能性が高い)の化合物の薬理評価を2つの研究グループで分担して実施する場合、誰だって陽性になるA系列を評価して実績を出したい。この時に飛び交っていたのが、オール武田でという考えだった。どこのグループから医薬品候補化合物が出てもオール武田で考えれば問題はない。この考え方が議論の中でしばしば出て、発生していた問題を解決していた。驚いたのは、良い結果が出ることが予想されるA系列化合物を担当することになった研究者が、B系列を担当する研究者にこの発言をした。そして、両者納得し問題が解決されたことだ。このオジサン達は「すごい!」と新入社員の私は感銘を受けた。

 武田薬品は極めて日本的な企業だったと思う。今でも研究所の同期入社のメンバーによる忘年会を毎年、大阪で実施している。小さいながら関東支部もあり、定期的に集まって武田や自分の近況を話し合っている。高校や大学の同窓会よりも親密で楽しいかもしれない。アンメット・メディカル・ニーズにいくつも答えを出せたことを誇りに、それぞれの分野で充実した研究者としての日々を送ったという記憶が人を集めるのだと思う。

 最近の新薬に由来する新しい発見、コンセプト、ほとほと感心する。日本の製薬企業の特徴は、その規模の大小にかかわらず、それぞれユニークな新薬が出ることだ。画期的新薬はノーベル賞よりも価値があると思っている。今まで良い治療法がなかった患者の方々に福音をもたらすことが出来るのだから。創薬を(その一部ではあるけれども)仕事に出来たのは幸せだったと思う。

(尚志:公益財団法人尚志社、No.50 (2019)に掲載された原稿を改変した)