くすり(3) 新型コロナウイルス、高血圧およびアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)
2020.8.1
日本薬科大学一般薬学部門 土井孝良
新型コロナウイルス感染はなかなか収束する様子がみられない。東京や埼玉にはそれぞれの新型コロナウイルス変異体が発現しているという報告もある。人は実験動物と比較して遺伝子が多様なので、個々の人で免疫が強かったり弱かったり、抗体の発現にも大きな個人差が現われていると思う。ここで、原点に戻り新型コロナウイルス感染と疾患との関係について考えてみたい。
2020年4月のJAMA誌オンライン版によれば、ニューヨークの12病院に入院している新型コロナウイルス感染症患者5,700例の平均年齢は63歳(女性は39.7%)であり、56.6%が高血圧症、41.7%が肥満、33.8%が糖尿病を有していた。集中治療室(ICU)で治療を受けた人は14.2%で、平均年齢は68歳(女性は34%)である(1)。したがって、新型コロナウイルス感染は高齢者、男性、そして高血圧症の方でリスクが高いというのは間違いない様だ。
血圧とは心臓から送り出される血液によって血管の壁にかかる圧力である。高血圧は安静時の血圧が慢性的に高い状態が続いているときの所見である。日本高血圧学会の判定基準によれば、収縮期血圧が140mmHg以上あるいは拡張期血圧が90mmHg以上のいずれかを示せば高血圧となる。高血圧の90-95%の発症原因は明確ではなく、遺伝的素因や環境的素因が関与すると考えられ、本態性高血圧と呼ばれている。一方、腎臓疾患、内分泌の異常、その他の基礎疾患などが原因で二次的に起こる高血圧を二次性高血圧と呼ぶ。高血圧が長く続けば血管壁に常に圧力がかかるので動脈硬化になり、脳血管障害、虚血性心疾患、腎障害などの重大な疾患につながる。肥満も血圧をコントロールするホルモンや自律神経を乱すので、高血圧の要因である。
高血圧は複数の遺伝子に起因した形質と考えられる。1991年に遺伝性高血圧ラットの遺伝子マッピングから二つの遺伝子座が血圧を規制していると報告された(2)。その二つとはラット第10染色体とX染色体(性染色体)である。ラット第10染色体はヒトの第17番染色体に相当し、アンジオテンシン変換酵素(ACE1)の遺伝子はこの染色体上にある。本酵素は血管収縮作用で血圧を上昇させるアンジオテンシンⅡ(AngⅡ)を生成する。そして、X染色体上にはアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)およびcollectrinの遺伝子が存在している。
AngⅡはアンジオテンシンⅠ受容体(AT1R)に結合して血管平滑筋を収縮させて血圧上昇させるとともに、心血管組織の再構築(リモデリング)を行う。この増殖性の作用は細胞傷害的にも作用する。ACEi(アンジオテンシン変換酵素阻害薬)やARB(アンジオテンシン受容体拮抗薬)は血圧を下げるだけでなく、これらの細胞のダメージに対して防御的に作用する。AngⅡは胎児期や異常増殖時に限定的に発現するアンジオテンシンⅡ受容体(AT2R)とも結合して、血圧を低下させ血管内皮細胞の増殖を抑制するという逆の作用も有する。さらに、AngⅡはACE2によって切断されてAng(1-7)となり、Mas受容体(MasR)と結合して血管を拡張させて血圧を低下させるとともに、細胞増殖やアポトーシスを抑制する。この様にACE1とACE2はお互いに拮抗する関係にあり、ACE1/ACE2のバランスが血圧のコントロールに重要であることは間違いない。
X染色体上にあるcollectrinはACE2のC末端と相同性を示すタンパク質であるが、酵素活性部位は欠損している。タンパク質複合体として作用し、インスリン開口分泌、エンドサイトーシス、膵臓のβ細胞の増殖などに関与する(3,4)。X染色体上にある原発性高血圧を規制している重要因子とはACE2とcollectrinである可能性がある。ACE2とcollectrinはヒトのX染色体の近接した部位に存在しており、お互い関係の深い関係にあると考えられる。これらは全てレニン-アンジオテンシン系の重要な因子である。ラット高血圧モデルではX染色体領域に量的形質遺伝子座(QTL)がマッピングされていると報告されている(4)。QTLは量的形質がどの様に表現されるかに影響を与える染色体上のDNA領域で、RNAに転写される遺伝子とは限らない。多因子性の疾患の発現は、QTLの多数の遺伝子にコントロールされていると考えられている。
ACE2は新型コロナウイルスの受容体であり、感染のトリガーである。ACE2を新型コロナウイルスが細胞への侵入のために使用し、細胞表面の活性化されたACE2の量が低下するということは、AngⅡが上がりAng(1-7)が低下することになり、血管の収縮亢進、高血圧に至ると推定される。少なくとも、新型コロナウイルス感染と高血圧とACE2は密接な関係にあることは確かである(5,6)。
引用
- CareNet; NYのCOVID-19入院患者、高血圧57%、糖尿病34%/JAMA、2020/5/7
- Hilbert P. et al.; Chromosomal mapping of two genetic loci associated with blood-pressure regulation in herediary hypertensive rats, Nature, 353, 521-529 (1991)
- Zhang Y., et al.; Collectrin, a homologue of ACE2, its transcriptional control and functional perspectives, B.B.R.C., 363, 1-5 (2007)
- 和田 淳等;SNARE複合体-膜融合の機構 –CollectrinとACE2 : その機能と異常、生体の科学, 61, 263-268 (2010)
- Hamming I. et al. ; The emerging role of ACE2 in physiology and disease, J. Pathol., 212, 1-11 (2007)
- Gemmati D., et al.; COVID-19 and individual genetic susceptibility/receptivity: role of ACE1/ACE2 genes, immunity, inflammation and coagulation. Might the double X-chromosome in females be protective against SARS-CoV-2 compared to the single X-chromosome in males?, Int.J.Mol.Sci., 21, 3474 (2020)