【薬学雑談】くすり(5) 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の特異性とワクチン

2020.9.29

             日本薬科大学一般薬学部門 土井孝良

世界で、南米、北米、欧州、インドで新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。インドでは1日10万人規模の新規感染者が出ている。感染に対する厳しい行動規制を取ったフランスやスペインにおいても、1日の新規感染者は1万人と報告されている。米国では1日約千人程度の新型コロナウイルス感染に起因した死亡がみられるという。

ウイルス感染の拡大を抑えるためには予防ワクチンの開発が必須である。現在、世界で160以上のワクチンの開発が米国と中国を中心に進んでおり、一部は臨床試験の最終段階に至っている。新型コロナウイルスワクチンの中で、アストラゼネカが開発中のAZD1222のフェーズⅢ参加者の1例に急性横断性骨髄炎が報告され、治験が一時中断した。急性横断性骨髄炎は脊椎の一部の神経障害が横方向に発生する疾患である。その発生機序は明らかになっていないが自己免疫性であり、ウイルス感染やワクチン接種後の発現が報告されている。

通常、ウイルスが細胞に侵入する時、ウイルスの外膜と宿主細胞膜との融合が必要である。インフルエンザやHIVなど多くのウイルスには、結合ドメインと膜融合ドメインの間にfurinのようなプロテアーゼ(前駆タンパク質転換酵素)による切断を受ける領域がある。したがって、宿主細胞内でウイルスが作られる時に細胞内のプロテアーゼで細胞膜との融合ドメインが切断され、膜融合が可能な活性体になってウイルスは出芽する。

SARS-CoV-2や SARS-CoVの表面にはspike(S)-タンパクが存在し、ウイルスの細胞内侵入に関与する。S-タンパクは先端に受容体と結合するS1ドメイン(3量体)と宿主細胞膜と融合するS2ドメイン(1量体)より構成されている。S1ドメインはその受容体であるアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)と結合して細胞内に侵入する。SARS-CoVが細胞内に侵入する場合、侵入の直前に宿主の細胞膜に局在するTMPRSS2の様なプロテアーゼでS1とS2の間が切断されなければならない。SARS-CoVのS1とS2の間にはfurinのようなプロテアーゼで切断される領域は存在しない。ウイルスが宿主細胞から出芽する時点で、S2は細胞融合が出来る形にはなっていないのだ。したがって、SARS-CoVの細胞への侵入は細胞膜のプロテアーゼの有無、あるいはその種類と量に依存することになる。一方、SARS-CoV-2にはS1とS2の間にfurinのようなプロテアーゼで切断される領域がある。したがって、SARS-CoV-2は宿主細胞で作られる時点でS1とS2の間は切断され、宿主細胞と融合できる活性体として宿主細胞から出芽する。SARS-CoV-2は細胞への侵入に際し、宿主細胞膜のプロテアーゼに依存せず細胞膜と融合し、細胞の中に侵入出来ると考えられる。SARS-CoV-2の感染力はSARS-CoVと比較して高くなったことが推測される。

SARS-CoV-2はSARS-CoVと比較して中和抗体が出来にくいと報告されており、COVID-19の疾病期間が長いことの原因の一つと考えられる。SARS-CoV-2は免疫監視機構を上手く回避している可能性が考えられた。一般的に、免疫の回避という何らかの変化がウイルスに生じた場合、通常は感染力も低下することが多い。しかし、SARS-CoV-2はSARS-CoVよりも感染力を増強させている。SARS-CoVのS-タンパク中S1ドメインに存在するレセプター結合領域(RBD)はほとんど常に立ち上がった状態で存在しているのに対し、SARS-CoV-2のS-タンパク中S1ドメインに存在するRBDは立ち上がったり伏せたりと変化し、通常は伏せた状態で存在している。したがって、SARS-CoV-2のRBDは免疫監視機構から隠れた形を取ることで中和抗体の発生を回避していると考えられる。なお、SARS-CoV-2のRBDはSARS-CoVのRBDよりもACE2に対して強い結合能を有しているとされている。以上、SARS-CoV-2の強力な感染拡大力は、① S-タンパクにfurinのような細胞膜のプロテアーゼで切断される部位があり、細胞膜と融合できる形で宿主細胞から出芽する、② S-タンパクのS1ドメインのレセプター結合領域(RBD)が立体的に変化し、通常は免疫監視思考から回避する状態で存在している、の2点に起因する可能性が考えられる。

RBDはS-タンパクの中で最も免疫反応を引き起こすとされる領域である。アストラゼネカが開発しているワクチンAZD(chimpanzee adenovirus oxford)1222は、チンパンジーに感染する風邪のアデノウイルスの複製機能を欠損させ、このウイルスにSARS-CoV-2のS-タンパク中RBDの遺伝子を組み込んだ形をしている。他のワクチンも同じような原理で作られているものが多い。生殖細胞への影響は?と少し心配になる。少なくとも、私の様なワクチンの専門家ではない人間には、タンパクベースのワクチンの方が安心かもしれない。

COVID-19により患者の方々に発現する症状のレベルは個体差、民族差が大きい。ACE2遺伝子の多様性や、TMPRSS2、furinのSNPsの疾患レベルに与える影響などの研究が始まっている。四六時中創薬を考え、何度失敗しても諦めない私が所属していた製薬企業の研究者達を思い出した。

参考文献

1) 松山州徳; 2. プロテアーゼ依存的なコロナウイルス細胞侵入、ウイルス、61、109-116(2011)

2)  Shang J., et al.; Cell entry mechanisms of SARS-CoV-2, PNAS, 117, 11727-11734 (2020)

3)  Casalino L., et al; Beyond shielding: the roles of glycans in SARS-CoV-2 spike protein, https://doi.org/10.1021/acscentsci.Qco1056, Publication Date: Sep. 23 (2020)

4)  Strafella C. et al.; Analysis of ACE2 genetic variability among populations highlights a possible link with COVID-19-related neurological complications , Gene, 11, 741-750 (2020)

5)   Latini A., COVID-19 and genetic variants of protein involved in the SARS-CoV-2 entry into the host cells. Gene, 11, 1010-1017 (2020)