谷学発!常識と非常識 第67話 生命の起源と進化:生命の定義① ―ウイルスは生物か?

1.ウイルスは生物でないという「常識」の根拠

これまでの3回のウイルスシリーズで、各種のウイルスを見てきましたが、これらのウイルスが生物でないことは「常識」です。ところがこの「常識」には、決定的な根拠が無いようです。例えばある研究者は、ウイルスが生物でない理由を次のように説明しています:

「実は、生き物を定義するとき、反例として挙げられる代表例がウイルスです。ウイルスは増殖するので一見生き物のように見えますが、自己複製ができないため生き物とはみなされません。ウイルスを通して、初めて生き物の定義が確実になるのです。」(※1)

この研究者は、ウイルスの「増殖」は「自己複製」でないと考えています。「自己複製」とは「自分と同じものを作ること」なので(※2)、両者は同じ意味ですが、彼はこれに「寄生によらない」という条件を追加しています。しかし、この条件の追加は問題を引き起こします。「寄生して増殖するものは生物でない」とすれば、真正細菌のリケッチアやクラミジアのような特定の細胞内でしか増殖できない「偏性寄生細菌」も、寄生菌類、寄生虫、寄生植物などの寄生生物も全てウイルスと同様に生物とは呼べなくなります。それどころか、全ての従属栄養生物、すなわち、ヒトを含む全ての動物、菌類、原生動物、殆どの細菌は、生存や増殖のためのエネルギーや資源を、食料や栄養源として100%他の種に依存しています。他の種に依存しなければ自己複製できないという点では、ウイルスもヒトも同じなのに、ウイルスだけを寄生を理由に生物でない、というのは論理的に矛盾しています。このような論理は生物一般には適用できない誤った論理と言わざるを得ません。

2.「ウイルスを生命の樹から除外すべき10の理由」(Moreira & López-García, 2009)

第1項の論者はウイルスが生物でない理由を1つだけ挙げましたが、Moreira らは“Ten reasons to exclude viruses from the tree of life”(ウイルスを生命の樹から除外すべき10の理由)というタイトルの総説を書いて、ウイルスが生物でない理由を多数挙げています(※3)。10年以上前の総説ですが、引用文献が72報もある力作であり、第1項の研究者の主張もこの総説が根拠となっているので、以下に要点を紹介します:

  • ウイルスは自身ではエネルギー代謝も物質代謝もできず、また、自己複製も進化もできない。したがって、ウイルスは生きていない。このことは地球上で知られている全てのウイルス系統の個体群を全て新惑星に移した場合を考えれば分かる。それらのウイルスを構成する分子の進行性の崩壊以外に何も起こらないことは明らかである。
  • ウイルスは多系統であり、共通遺伝子を持たないため、類縁関係に基づく系統樹が描けない。
  • 全てのウイルスが共有する遺伝子がないので、先祖となる単一のウイルスが推定できない。
  • 系統学的に離れた生物に同じウイルスが寄生していたとしても、そのウイルスが系統学的に非常に古いとは限らない。ウイルスが水平伝播した可能性もある。
  • 細胞を持つ全ての生物は、細胞膜の分裂によって増殖するため、細胞膜は構造的連絡性を持つが、ウイルスは細胞膜を持たないため、構造的連続性を欠き、系統樹が描けない。
  • ウイルスが代謝関連遺伝子を持つ場合、それらは細胞起源である。
  • ウイルスが転写酵素を持つ場合、それらは細胞起源である。
  • ウイルスのゲノム配列は原核生物または真核生物由来であり、ウイルスは遺伝子泥棒である。
  • 殆どの遺伝子の水平伝播(HGT)は細胞からウイルスへの方向に起こる。
  • ウイルスは単純であるが、単純さは進化的古さを意味しない。

上記10項目のうち、①は結論、「②~④は「ウイルスの多系統性」、⑤~⑩は「ウイルス遺伝子と細胞遺伝子の共通性」に関する議論です。しかし、①は「ウイルスは寄生して増殖するので生物でない」という、前項でその論理的破綻を指摘済みの論理です。特に、ウイルスだけを新惑星に移せば滅びるしかないのでウイルスは生きていない」という論理は、自ら墓穴を掘るものです。なぜなら、ウイルスの代わりに動物だけを新惑星に移した場合でも結果は同じだからです。植物なしではまず草食動物が絶滅し、雑食・肉食動物も互いを食べ尽くして絶滅します。②~⑩はウイルスの系統樹の作成が困難な理由ですが、系統樹が作り難いからウイルスは生物でないとはいえません。また、「ウイルスの遺伝子は細胞由来であり、ウイルスは遺伝子泥棒である」との主張には、巨大ウイルスの遺伝子の約9割が細胞由来でない未知の遺伝子である事実が有力な反論になります。

3.「ウイルスを生命の樹から除外しない理由」(Nagendraら、2009)

Nagendraらは、上記Moreira らの論文に反論するため、「ウイルスを生命の樹から除外しない理由」というタイトルの論文を書いています(※4)。以下に要約して紹介します:

  • Moreiraらは、最も単純な生物であるウイルスを複雑な動物や植物と比較しているが、この比較は不公平である。最も単純な生物であるウイルスと比較するなら単離細胞や精子や卵子と比較すべきである。単離細胞タイプの細胞の多くは適切なサポートなしでは自然環境中で生存し複製することを期待できない。ウイルスが生物でない根拠として、ウイルス全部を新惑星に移した場合、絶滅するしかないことを挙げているが、動物だけを移植しても結果は変わらない。
  • 自然は土と水と空気だけではない。動物や植物も自然の一部である。全ての生物が自然を利用して生きているように、ウイルスも動植物や細菌という自然を利用して生きている。
  • Moreiraらは「ウイルスは自力では進化しない」というが、生物が環境の変化に適応して進化してきたように、ウイルスも「宿主の細胞」という自然環境の変化に適応して進化してきた。
  • ウイルスが共通の遺伝子を持たないほど変化に富む理由は、ウイルスが小さく、保有する遺伝子が少ないために、種としての進化が加速されたことの当然の結果である。
  • ウイルスの遺伝子が細胞由来とは限らない。遺伝子は双方向に移動しうる。
  • 系統樹の出発点は永久に始原細胞からですか、もっと昔までさかのぼりませんか?

以上をまとめると、ウイルスは生物でないという「常識」にはまともな根拠はありません。ウイルスが生物かどうかは、生物を定義する人が、ウイルスを生物に含めるように定義するか、排除するように定義するかで決まる問題です。例えば、「生物とは、核酸のゲノムを持ち、自己保存し、増殖し、進化するシステムである」と定義すれば、ウイルスも立派な生物の一員です。

今世紀になってから巨大ウイルスが次々と発見され、研究者の中にも「ウイルスが無生物であるという「常識」に異議を唱える人たちが増えてきました(※5)。また、巨大ウイルスの遺伝子解析か進み、ウイルスを含めた全生物の系統樹を描く試みや、新しい進化論も生まれています。これらについては進化に関する後の話題で改めて取り上げます。(第68話「生命の定義」②に続く)

 (馬屋原 宏)

引用文献

1)Modia:https://modia.chitose-bio.com/articles/virus_01/

2)中村桂子:「生物進化40億年の旅」(動画)、https://www.youtube.com/watch?v=u8-Vzpx26b0

3)Moreira, D. & López-García ,P.: Ten reasons to exclude viruses from the tree of life. Nature Reviews Microbiology , Vol.7 ,310-311 (2009) http://max2.ese.u-psud.fr/publications/2009-NRM-viruses.pdf

4)Nagendra R. et al: Reazons to include viruses in the tree of life. Nature Reviews Microbiology Vol.7, p.615 (2009), https://www.nature.com/articles/nrmicro2108-c1

5)中屋敷均:『ウイルスは生きている』講談社現代新書(2016)