【薬学雑談】 くすり(6) 新型コロナウイルス感染のキーとなるTMPRSS2とは?

2020.10.22

             日本薬科大学一般薬学部門 土井孝良

欧州での第2波の新型コロナウイルス感染が急速に拡大し、第1波の3倍近くに達している。フランスではパリなどの9都市圏で夜間の外出禁止措置が始まった。夕食を楽しむ人でにぎわうパリの夜の街角は静けさに包まれているという。イタリアやドイツでも1日当たりの新規感染者数は過去最高になっている。新型コロナウイルスに対するワクチンや抗体の開発が期待される。しかし、RNAウイルスは変異を起こしやすい。安全性が確保された免疫関連の予防や治療方法の確立は簡単ではないと推測される。インフルエンザウイルス感染には低分子化合物によるノイラミ二ダーゼの阻害が効果的であった。新型コロナウイルスに対しても、低分子化合物による酵素の阻害薬や受容体における拮抗薬の開発の方が現実的かもしれない。

新型コロナウイルス感染に際して、受容体であるアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)及びウイルスと宿主細胞の膜の融合に関与するTMPRSS2 (Transmembrane protease, serine 2)が特に重要と考えられている。ACE2には酵素ドメインと受容体ドメインが異なった部位に存在するが、この受容体ドメインをブロックすれば新型コロナウイルス感染は抑制される可能性がある。しかし、ACE2は血管収縮、炎症、線維化などを引き起こすアンジオテンシンⅡとの拮抗が生理作用である。ACE2の阻害というのは副作用の発現が危惧される。

TMPRSS2はⅡ型膜貫通型セリンプロテアーゼの一種で、細胞質側の短鎖のN末端、膜貫通ドメイン及びセリンプロテアーゼを含む細胞外に露出したC末端よりなる。TMRSS2はインフルエンザウイルス、SARS-CoV、MERS-CoVにおいても、その感染の肺指向性及び病原性に重要な役割を果たしていることから、ウイルス感染においてキーとなる酵素であることは明らかである。さらに、セリンプロテアーゼであるTMPRSS2は、その阻害薬が膵炎治療薬(蛋白分解酵素阻害薬)として既に臨床で使われている。この事実は、TMPRSS2阻害というコンセプトは高いdruglikenessを有する、即ち新型コロナウイルス感染を抑制する医薬品になりうる可能性を示している。

TMPRSS2は前立腺上皮の内腔側に高濃度で存在することが良く知られている。本酵素は男性ホルモン(アンドロゲン)で制御されるが、その生理機能はまだ明確ではない。TMPRSS2遺伝子の上流にある応答領域にアンドロゲンが結合すると、DNA損傷修復因子によりTMPRSS2遺伝子とERG (erythroblastosis –related gene:がん遺伝子)の共通配列の切断・再結合が発生し、TMPRSS2-ERG遺伝子(融合遺伝子)が生成する。TMPRSS2-ERGは前立腺がん特異的融合遺伝の中でも最も発現頻度が高い。人種差はあるが、TMPRSS2-ERGは前立腺がん患者の約半数例で観察される、前立腺がんの悪性度および転移の有無と相関する予後不良因子である。尿中に含まれるTMPRSS2-ERG遺伝子は、新規前立腺がんのマーカ―として利用されている。

細胞の機能は細胞間に存在する細胞外マトリックスで規定され、組織構築の維持だけでなく、細胞の増殖・分化・運動などの基本的な細胞機能を制御している。プロテアーゼによる細胞外マトリックスの過剰な分解は、がん細胞の浸潤・転移をはじめとする多くの疾患における組織破壊に関与していると考えられ、特にメタロプロテアーゼファミリーが主役を演じている。セリンプロテアーゼであるTMPSS2は前立腺がんの浸潤・転移に関与していることが考えられる。

男性は女性と比較して新型コロナウイルス感染により重症化しやすく、死亡率や再入院率も高いことが知られている。これらの患者の中で、男性ホルモンを抑制・遮断する精巣の除去、抗アンドロゲン薬の投与などのアンドロゲン除去療法を受けている前立腺がんの患者では、新型コロナウイルス感染が抑制されると報告されている。したがって、アンドロゲンに対する感受性、さらにアンドロゲンで制御されるTMPSS2の発現強度は、新型コロナウイルス感染における病原性発現のレベルを制御する重要な因子と考えられる。

肺の上皮細胞に発現しているTMPSS2の生理機能は不明である。TMPSS2のKOマウスは体重の減少を示すが、致死性には至らない。TMPSS2のKOマウスを用いたウイルス感染実験では感染の程度が低下するだけでなく、サイトカインやケモカインが低下して免疫起因の病原性のレベルも低下する。したがって、TMPSS2は新型コロナウイルスのs-タンパク質の開裂だけでなく、ウイルス感染に際しての免疫反応に影響を与えることは明らかである。細胞表面のTMPSS2はin vitroでウイルスと細胞の膜融合を導くことが示されているが、in vivoにおける新型コロナウイルス感染でのTMPSS2の役割は、まだ明らかにはなっていない点が多い。

なお、厚生労働省の人口動態統計速報によると、今年の日本全国における死亡者数の統計は例年と異なる、すなわち7月までの死亡者数は79万6千人で、前年同期に比較して1万8千人も減っているという。日本人のマスク好きに起因するのか、その他の要因が関与しているのかは不明であるが、欧米とは少し状況が異なるようである。

参考文献

  1. Wambier C. G., et.al: Androgen sensitivity gateway to COVID-19 disease severity, Drug Dev. Res., 1-6 (2020)
  2. 金沢浩子、新型コロナ、前立腺患者でアンドロゲン除去療法が感染を抑制か、ケアネット、公開日:2020/08/24
  3. Iwata-Yoshikawa N., et.al: TMPRSS2 contributes to virus spread and immunopathology in the airways of murine models after coronavirus infection, J. Virol.,93, e01815-18 (2019)
  4. 竹田 誠; 2.プロテアーゼ依存性ウイルス病原性発現機構とTMPRSS2、ウイルス、69、 61-72 (2019) 
  5. Wang Z., et. al: Significance of the TMPRSS2:ERG gene fusion in prostate cancer, Mol. Med. Rep. 16, 5450-5458 (2017)
  6. Shen L. W., et. al: TMPRSS2: A potential target for treatment of influenza virus and coronavirus infections, Biochimie, 142, 1-10 (2017)
  7. 大日方大亮等: 前立腺癌におけるアンドロゲン受容体とアンドロゲンシグナル経路 – アンドロゲン受容体が引き起こす染色体転座 -、公益財団法人山口内分泌疾患研究振興財団 内分泌に関する最新情報、1月、1-7(2015)
  8. Lucas J. M., et. al: The androgen-regulated protease TMPRSS2 activates aProteolytic cascade involving components of the tumor microenvironment and promotes prostate cancer metastasis, Cancer Discov., 4, 1310-1325 (2014)
  9. Clinckemalie L., et. al: Androgen regulation of the TMPRSS2 gene and the effect of a SNP in an androgen response element. Mol. Endocrinol., 27, 2028-2040 (2013)