谷学発!常識と非常識 第70話 生命の起源と進化:生命の定義④ ―生物と非生物の境界

生物の最も重要な特徴はエントロピー増大への抵抗と自己複製です(ここでいう自己複製とは「自分と同じものを作る」という意味であり、方法を問いません)。ただし細胞内小器官や感染性病原体の中にはこの2条件を満たすものがあり、今回はこれらを取り上げ、生物と無生物の境界を考えます。

1.固有の遺伝子を持つ細胞内小器官

1-1 【ミトコンドリア】ミトコンドリアは真核生物の細胞質にある細胞内小器官です。通常、1細胞あたり数百~数千個存在し、太さ0.5µm程度、長さ数µm程度で、外膜と内膜を持ち、内膜にある電子伝達系でATPを産生して細胞に供給することが主な役割です。ミトコンドリアは分裂によって増殖し、細胞分裂時にはほぼ均等に2つの娘細胞に配分されます。ミトコンドリアは固有のDNAを持つため、太古の昔に真核細胞に寄生した好気性細菌が起源であると考えられています。ヒトのミトコンドリアDNAに含まれる遺伝子は37個で、大腸菌の遺伝子数の100分の1以下です。独立微生物としては遺伝子が少なすぎますが、理由は太古の昔に遺伝子の大部分が宿主細胞の核に移動したためと考えられており、このためミトコンドリアの機能は完全に細胞核に支配されています(※1)。

1-2 【葉緑体】葉緑体は植物細胞内で光合成を行う細胞内小器官です。大きさは直径が5 – 10µm程度、厚さが2 – 3µm程度の両凸レンズ形をしており、高等陸上植物では1細胞内に通常10~数百個含まれます。葉緑体は外膜と内膜を持ち、内膜(チラコイド膜)にある光合成の電子伝達系と間質(ストローマ)の酵素群が共同で、二酸化炭素と水から糖を光合成するほか、窒素代謝、アミノ酸合成、脂質合成、色素合成など、植物細胞の代謝の中心となっています。葉緑体は固有のDNAを持ち、分裂して自己複製するので、太古の昔に真核細胞に共生したシアノバクテリアのような光合成細菌が葉緑体へと進化して、植物の起源になったと考えられています。葉緑体は100個ほどの遺伝子を持ちますが、葉緑体を構成するタンパク質は3000種以上あり、残りのタンパク質を作る遺伝子は、共生進化の過程で葉緑体から細胞核に移行したと考えられています。その結果、葉緑体の機能も核に完全に支配されています(※2)。

2.タンパク質性の自己増殖性細胞内小器官

2-1 【中心体】中心体は動物細胞の核近くに1個存在する細胞内小器官であり、核酸を持たないにもかかわらず、細胞分裂に先立って正確に1回だけ自己複製する点で特異な小器官です。

左図(文献3より引用)は、中心体の自己複製過程を示します。中心体は一対の中心小体(母中心小体と娘中心小体)で構成され、これらは直角に接合して中心体基質に包まれています(図左上)。中心体が自己複製するときは、最初に2個の中心小体が分離し(図上中)、それぞれの根元から直角に中心小体が伸長し(図右上)、母中心小体と娘中心小体のペアが2組できます(図下右)。

中心体は微小管が筒状に配列した特有の構造を持ち(上図参照)、細胞分裂時には紡錘糸の起点となります(図下左)。ただし、被子植物の細胞は中心体を持たず(裸子植物にはある)、それでも紡錘糸は形成されます。中心体の自己複製には、中心体を取り囲む基質が重要な役割を果たしています。基質には可溶性と非可溶性の2相があり、酵素による相転移が中心体の分裂と成長を開始します(※4)。中心体の分裂の異常は細胞分裂の異常や、がん化の原因となるため、複雑なフィードバック機構が関与しています。中心体は核酸なしで完璧に自己複製できるので、生命の発生の観点からも注目されています(※4)。

2-2 【繊毛(線毛)】:気道上皮や卵管上皮等の管腔側自由表面には繊毛が密生しています。繊毛と中心体は相同の構造を持ち、個体発生時の繊毛形成は以下の4段階を経て自己増殖的に起こります:①中心小体形成センターというべき構造ができる。②その中で中心小体様の構造が増殖する。③増殖した中心小体様構造が細胞膜直下に移動して、繊毛基底小体とその運動装置である付属装置を作る。④繊毛基底小体の微小管の束の遠位端が細胞膜を被って伸長し、繊毛となる(※5)。

2-3 【ゴルジ体】:真核細胞内に複数個あり、扁平な小胞(ゴルジ槽)が積み重なった構造をしています。ゴルジ体は小胞体で生産されたタンパク質に糖鎖を付加し、細胞内外の目的地ごとに仕分けして出荷する配送センターとして機能しています(※6)。ゴルジ体には極性があり、小胞体から送られてくる積荷タンパク質を封入した膜小胞は、ゴルジ体のシス側で集合して新しいゴルジ槽を付加し、逆側の一番古いトランス側の槽ではゴルジ槽が断裂してゴルジ小胞となり、積荷の(糖)タンパク質が目的地へと送り出されます(※6)。ゴルジ体のゴルジ槽は細胞分裂時には殆ど退縮・消滅し、小胞の集合体となりますが、細胞分裂後に復活します。そのメカニズムは殆ど不明です(※6)。なお、核膜も細胞分裂と同期して消滅し、細胞分裂後に復活しますが、そのメカニズムも不明です。

ドーキンスは遺伝子の連続性を生命の本質と考え、「個体は遺伝子の乗り物にすぎない」と言いましたが、この見方は細胞膜や細胞内小器官の連続性を軽視しています。遺伝子は細胞膜(ウイルスの場合はカプシド膜)に包まれており、真核細胞生物ではこの細胞膜も細胞内小器官も、卵子を通じて子孫に受け継がれます。例えば巨大細胞であるヒトの卵子は10万個以上のミトコンドリアを含み、これらは卵割によって子孫に引き継がれます。真核細胞の祖先の原核細胞でも、細胞膜は細胞分裂によって代々受け継がれるため、我々が持つ細胞膜も生命の発生以来、数十億年間の連続性を持っています。細胞膜はゲノムや細胞内小器官の散逸によるエントロピーの増大と細胞死を防ぐだけでなく、細胞膜や細胞内小器官を子孫に引き継ぐために不可欠な役割を果たしています。

3.生命の定義まとめ

以上4回の「生命の定義」シリーズをまとめます。第67話で、生物の定義には混乱があり、「生物とは核酸のゲノムを持ち、自己保存し、増殖し、進化するシステムである」と定義すれば、ウイルスも生物の一員として混乱なく生物を定義できると書きました。ただし今回考察したように細胞内小器官等の中にはこの定義に含まれるものがあります。しかし、細胞内小器官は完全に細胞核に支配されており、独立した生物とは言えません。一方、ウイロイド、プラスミド、プリオン等の増殖性病原体類は細胞核から独立して細胞内で増殖します。これらは単独の核酸やタンパク質であり、固有の膜を持たない点で細胞やウイルスと区別できます。したがって、上記の定義に「膜によって周囲から独立していること」を追加すれば、これらの無生物と生物(細胞性生物とウイルス)との間に混乱なく一線を画すことができます。(次の第71話から本題の「生命の起源と進化」シリーズに入ります。)

(馬屋原 宏)

引用文献

1)国立遺伝学研究所:https://www.nig.ac.jp/museum/evolution-x/02_a2.html
2)東北大学:http://www.biology.tohoku.ac.jp/lab-www/hikosaka_lab/hikosaka/Mechanism.html
3)北川大樹:https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2017.890489/data/index.html
4)Zwicker, D., Decker, M., Jaensch, S., Hyman, A. A. & Jülicher, F.:Centrosomes are autocatalytic droplets of pericentriolar material organized by centrioles. Proc. Natl Acad. Sci. USA 111, E2636–E2645 (2014).
5)萩原治夫:https://www.jstage.jst.go.jp/article/kenbikyo1950/31/1/31_1_29/_article/-char/ja/
6)理化学研究所:https://www.riken.jp/press/2017/20170502_1/index.html