黒岩幸雄先生を悼む

佐藤哲男

また一人かけがいのない親友を失った。2021年1月10日畏友黒岩幸雄先生がご逝去された。黒岩先生と私は同じ年齢で50年来の友である。先生は安全性評価研究会(谷学)の特別会員として運営、活動を通して会員に多くの影響を与えた。中でも、夏の奈川や八ヶ岳自然文化園で行われたフォーラムには必ず出席し、会員各位と美酒を交わしながら議論百出したことは多くの会員の記憶に残っている。

黒岩先生が昭和大学薬学部毒物学教室の教授として長年にわたり多くの優秀な学生を育成した背景には、先生の若い頃に受けたご経験があると思う。黒岩先生は大学院学生時代を九州大学医学部薬学科の「衛生裁判化学教室」で過ごした。この教室は、当時、裁判化学の権威であった塚本久雄教授が主宰していた。

薬学部における裁判化学は鑑識化学とも言われている。医学部の法医学に対応するものであり、事件の解決に応用される分析化学の一分野である。最も重要なのが生体試料中の薬毒物の分析である。残念ながら、直近の薬学教育カリキュラムの科目からは消えたが、先生は国内で唯一の現役の生き残り研究者だった。

黒岩先生は九州大学での大学院修了後、東北大学医学部薬学科衛生化学教室の奥井誠一教授の助手となった。その後、当時わが国における裁判化学の権威であった秋谷七郎教授(東京大学名誉教授)が昭和大学薬学部に毒物学教室(現薬学部基礎医療薬学講座、毒物学部門)を新設した時に助教授として就任した。

黒岩先生は現役教授時代には多くの事件の生体試料分析や鑑定にかかわった。中でも有名なのが1995年に都心でテロ事件として社会を騒がせたオウム真理教による地下鉄サリン事件である(詳細は、佐藤哲男『「被害者が語る地下鉄サリン事件(15年目の証言)」の重み』、谷学ホームページ、2010年5月17日特別寄稿文参照)。

サリンは有機リン剤で、これに暴露されるとアセチルコリンエステラーゼの不可逆的阻害により副交感神経系が興奮する。それにより、サリン事件の被害者は、死やかすみ目、脱力感、吐き気、頭痛などの重篤な症状を呈した。これらの症状は、今なお後遺症として残っている。

地下鉄サリン事件が契機となり、黒岩先生はサリン被害者を救済するために設立された NPO 法人「リカバリーサポートセンター(R・S・C)」の副理事長としてご活躍された。

黒岩先生は他人からの相談事には親身になって相談に乗ってくれた。豪放磊落で親分肌の先生は、教え子の面倒見が良く、ときには自分が悪者になっても友人、知人を守ることもあったと聞いている。このように誰からも慕われた黒岩先生は多くの人々に惜しまれながら旅立った。もう二度とあの温顔に接することができないと思うと誠に残念である。酒をこよなく愛した先生は天国で美酒に酔っているかもしれない。飲み過ぎないことを祈るのみである。合掌