谷学発!常識と非常識 第72話 生命の起源と進化② ―生命はどのようにして発生したか?

1.生命の化学進化仮説の現状

オパーリンに始まる生命の化学進化仮説は、仮想原始大気中での放電型の実験(第71話参照)が行き詰まった後も、実験系を変えて続いています。例えば2017年に、「生命の起源ついに明らかに? その想像以上にシンプルなメカニズム」と題する報道がありました(※1)。「原始の地球で最初の細胞が誕生した仕組みを明らかにする新発見がもたらされた。1924年以来、長らく忘れ去られていた進化史上の仮説に、再び注目が集まっている。」とのセンセーショナルな報道なので、原著論文で内容を確認したところ、以下のような内容でした:

ドイツのマックス・プランク研究所のZwickerらは、外部からのエネルギー供給によって熱力学的平衡から離れて維持されているシステム内で液滴(droplets)を作成し、それらの挙動を調べたところ、液滴材料を追加すると液滴が成長し、サイズがある大きさに達すると不安定化して、同じサイズの2つの娘液滴に分裂することを発見しました。液滴材料を追加し続けると液滴の分裂が続きます。彼らは「このシステムが原始細胞のモデルとして役立つであろう」と書いています(※2)。

ここで重要な点は、この「液滴」の材料に何が使われたかです。原著論文には書かれていないので、引用された彼ら自身の論文を調べたところ、材料は線虫の中心体および中心体基質でした。中心体が細胞分裂の前に1回だけ自己複製することは昔から知られており、酵素の作用で中心体基質が相転移すると中心体が分裂することが分かっています(第70話参照)。しかし、実際の細胞分裂はゲノムが分裂した後、細胞膜を裏打ちする収縮性線維がリング状に収縮して、細胞膜が細胞をくびり切るように進行します(※3)。液滴にはゲノムも細胞膜も収縮リングも存在しないので、液滴の分裂と細胞分裂は外観が似ているだけの別の現象であり、これを「最初の細胞が誕生した仕組みを明らかにした」と報道するのは過大評価です。それに、中心体を生命の起源と考えるのであれば、核酸を持たない中心体からどのようにしてDNAやRNAが進化したかを説明する必要があり、前途遼遠です。

2.生命のワールド起源仮説

生命の起源の化学進化仮説は、簡単な化合物から核酸やタンパク質のような複雑な化合物が発生し、それらの組み合わせから原始生命が発生したと仮定します。これはいわばボトムアップ式の仮説ですが、最近これとは逆にトップダウン式に生命の発生を考察する方法論が盛んになってきました。具体的には、生命の基本原理であるセントラルドグマ【DNA→RNA(mRNA→tRNA→rRNA)→タンパク質】の各成分が全部一度に発生したとは考え難いため、まずこれらのうちのどれかだけから成る疑似生命体の世界が先行して発生し、次第にその他の要素を加えて現在の生命システムに進化したと考えます。最初に何の疑似生命体が発生したと考えるかによって、「DNAワールド仮説」、「RNAワールド仮説」、「タンパク質ワールド仮説」の3種が考えられます。このうち「DNAワールド仮説」を唱える人は殆どいませんが、その理由はDNAには触媒作用がないので、最初にDNAだけが発生しても、自身の複製もRNAやタンパク質の合成もできず、生命が発生するとは考え難いからです。そこで以下、「タンパク質ワールド仮説」と「RNAワールド仮説」を紹介します:

3.生命の起源の「タンパク質ワールド仮説」

生命の発生の前に、タンパク質だけの疑似生命世界(タンパク質ワールド)が発生したとする仮説です。この仮説を支える根拠は3つあります:①タンパク質は現在、代謝系を有する生物のあらゆる生命反応において触媒の役割を担っていること、②セントラルドグマの全ての反応はタンパク質である酵素の触媒反応が関与していること、③もし偶然にDNAやRNAが先に発生しても、触媒となるタンパク質が存在しない世界では、それらの自己複製もタンパク質合成もできないこと。

ただし、この③には反論が可能です(第5項「RNAワールド仮説」参照)。

4.生命の起源の[GADV]-タンパク質ワールド仮説

タンパク質ワールド仮説の中でも、疑似生命体の発生のプロセスが具体的に検討されている仮説が池原健二奈良女子大学名誉教授による[GADV]-タンパク質ワールド仮説(以下、GADV仮説)です。

池原氏は現実の生命世界では主流の、20種類のアミノ酸と64種類のコドン(注:3つの塩基からなるアミノ酸の遺伝暗号)の世界は、最初に発生するには複雑すぎるため、現在の生命システムの前段階として、もっと少ない種類のアミノ酸とコドンによって構成される原始的タンパク質ワールドが存在したと仮定しました。彼はユーリーらの放電実験でも生成された単純な4種のアミノ酸(グリシン、アラニン、アスパラギン酸、バリン)だけでも「水溶性で球状」という基本条件を満たし、しかも弱いながらも触媒作用を持つタンパク質が合成できることを示しました。これら4種のアミノ酸のコドンが、GUC、GTC、GAC、GGCと、全てGで始まりCで終わることから、彼はこの暗号システムを「GNC原初遺伝暗号システム」と名付けました(Nは4種の塩基のどれか)。彼はこれらのタンパク質が表面に複数の弱い触媒作用を持つことから、さらにより触媒作用の強いタンパク質(すなわち酵素)を産生して、タンパク質→タンパク質という疑似増殖サイクルを形成できると考えました。また彼は、これら4種のアミノ酸に対応するコドンが現実の生命システムでも使用されていることは、現在の生命システムの前に原始的なタンパク質ワールドが存在していたことの痕跡であると考えています。すなわち、その原始的タンパク質世界のアミノ酸配列の情報がコドンとしてタンパク質からtRNAに伝達され、「GNC原初遺伝暗号システム」のコドンとなり、さらにDNAへと伝わって現在の生命システムのコドンとなったと考えています(※4)。

GADV仮説の最大の課題は、原始的なタンパク質からrRNAやDNAのような複雑な高分子がどのようにして形成されたかを説明することです。池原氏は、[GADV]-アミノ酸-オリゴヌクレオチド複合体のGNCコドン間での結合によって、最初の1本鎖RNA遺伝子(今でいうmRNA)が形成され、この一本鎖RNA遺伝子の相補鎖の合成により最初の二重鎖RNA遺伝子が形成され、こうして形成されたRNA-[GADV]-タンパク質ワールド内で原始生命が誕生した、と考えています(※4)。上記4種のアミノ酸がランダムに結合してできたタンパク質の立体構造とその性質のコンピュータシミュレーション研究が別の研究者により進んでおり(※5)、この仮説は更に発展する可能性があります。

5.生命の起源のRNAワールド仮説

「RNAワールド仮説」では現在の生命システムの発生の前にRNA群(mRNA、tRNA、rRNA)による擬似生命世界が発生したと考えます。この仮説の根拠の1つは、rRNAに触媒作用がある事実です。触媒作用があればタンパク質(酵素)も合成可能です。また、レトロウイルスが自身(RNA)を鋳型として逆転写してDNAを作り、宿主のゲノム中に挿入する事実も「RNAワールド仮説」を支持しています。最近(2020年7月)、「RNAワールド仮説」を強く支持すると思われる画期的な実験的進展が国内でありました。これについては次の第73話で紹介します。

(馬屋原 宏)

1)Wired:「生命の起源」ついに明らかに? その想像以上にシンプルなメカニズム
  https://wired.jp/2017/05/09/how-life-began/
2)Zwicker,David et al.:Growth and division of active droplets provides a model for protocells.
Nature Physics on line, March 2016, DOI:10.1038/nphys384
3)早稲田大学:https://www.waseda.jp/top/news/topic/24330
4)池原健二:GNC-SNS原始遺伝暗号仮説 https://ikehara-gadv.sono-sys.net/research/code/
5)小田彰史ら:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcac/14/0/14_23/_pdf