【薬学雑談】こころ(3) 武田薬品での安全性評価の想い出 -逆転劇-
2021.6.22
名古屋市立大学薬学部
土井孝良
先日本棚を整理していたら、従業員に配った武田二百年抄史という分厚い本が出てきた。最初に本社の写真、次ページに大阪の十三にあった中央研究所の写真が載っていた。この建物は3棟からなり、その2棟7階の7010号室に新入社員あった私は配属された。下手なテニスを日々披露したテニスコートの写真もあった。しかし、この中央研究所の建物は、今はもうない。久しぶりに武田薬品での思い出を書いてみたくなった。
薬剤安全性研究所で反復投与毒性試験の研究責任者だった当時、同僚のKさんといろいろ相談し協力して業務を行っていた。Kさんが主担当の化合物Mは、将来の海外市場を意識して、海外の製薬企業と共同開発するということになった。その一環として、ラットの反復投与毒性試験の一部を海外のCROで実施するという。しばらく時間が経過した。化合物Mは開発中止という噂が流れていた。海外のCROで実施した試験で、ラットの膀胱に出血性の所見がみられたということであった。これまでに化合物Mの開発を進める上で大きな問題はなかった。主担当ではない私でも残念だなと強く感じた。
その時、Kさんはいろいろ調べたりして精力的に動いていた。そして、突然私に「化合物Mの毒性試験を実施した海外のCROが使っている飲水を輸入して、検討試験を実施したいので手伝って下さい」という。事情を聴くと「日本の飲水と海外のこのCROが使っている動物用の飲水は硬度が全然違うのです」と言って私にデータを示した。「海外のCROで観察された膀胱の出血性所見は、飲水の硬度が高いことに起因した膀胱結石が原因だと考えられます」というのだ。さらに「海外のCROが使用した飲水を輸入して、日本で検討試験を実施したい」とのことだった。確かにラットの飲水の硬度の違いに起因している可能性は十分あると思えた。しかし、長期間のラット反復投与毒性試験のための飲水を海外から導入するというのは、これは前代未聞である。「どれくらい飲水はいるの?」と聞くと「計算しました」と数字を見せた。すごい量である。「言ってることは良くわかるけど、in vivoだからKさんのいう結果が再現しない可能性もあるよ」と告げた。それでも、Kさんは予備的な検討はプライベートで実施したとデータをみせた。私は「やるなら協力するよ」と伝えた。そして、Kさんは「所長の了解を取り付けてきました」といった。
しばらく時間が経過した。Kさんのこの提案を忘れかけていたころ、部屋に電話がかかって来た。Kさんからで「海外から飲水が送られてきたから、運ぶのを手伝って欲しい」とのことだった。現場に行くとトラックに水の入ったポリの容器が山のように積まれている。毎週1回このスケールで水が運ばれてくるという。本当にやったんだと驚きつつ、水の運搬を手伝った。「テクニシャンの人にやってもらったらいいんじゃないの」と聞くと、みんな忙しいので無理とのことだった。次の週も私とKさんと二人で水を運んだが、その次の週からは誰かに手伝ってもらったらしく、私の出番はなかった。
日本の飲水と海外の飲水を飲ませる群を並行して走らせるラットの反復投与毒性試験は無事に終わった。結果は、日本の飲水を用いた群では膀胱に所見は観察されず、海外の飲水を用いた群では陽性になった。従って、膀胱で観察された所見の違いは飲水の硬度の違いに起因するということが示された。その数年後、化合物Mは新薬として承認され、現在も臨床現場で活躍している。めでたしめでたしではあるが、Kさんに「もしこのような美しいデータが出なかったらどうするつもりだったのか」と聞いてみた。Kさんは「やみ研究で手ごたえを得ていた」という。もし私が化合物Mの主担当者だったら、海外から飲水を入れてまでの検討試験を実施しただろうか?このような離れ業が出来ただろうか?自信はない。
もう一つ、逆転ストリーを紹介したい。化合物Xは臨床試験もある程度進み、期待の化合物だった。化合物Xが新薬になったら、臨時ボーナスが出るという人もいた。ところが、外注していたサルのGLP反復投与毒性試験で低用量から用量依存性の毒性所見が出て安全域がなくなってしまったのである。これはダメだ、開発中止だというムードが研究所に漂った。私もこれはダメだと思った。そこへ主担当のBさんが資料を持って部屋に飛び込んできた。「使用したサルの1例か2例がウイルス感染している」とのことであった。毒性試験の結果にはあまり影響はないのではとも思えたが、「GLP試験だし、試験のやり直しになってもおかしくない」と答えた。Bさんは薬事管理部を含む種々の部門と相談し、最終的に所長の判断で外注の再試験を行うことになった。しかし、お金は?と思った。かなりの規模のサルのGLP反復投与毒性試験だと一億円近くのコストがかかる。予算を何に使うかはほぼ決まっているはずだ。
このサルの再試験では、毒性所見は高用量でのみ観察された。従って、かなりの安全域が確保されたのである。サルのデータは用量群でみてはいけない、個々のデータをみろという典型的な例であった。数年後、この化合物も市場に出た。現在も活躍している。新薬の研究開発においては、退く勇気とともに突き進む勇気が必要なのだ。なお、KさんもBさんも上記の対応でプラスに評価されたとは聞いていない。特に、Kさんの場合は予想する結果が出なかった場合は、研究所にいられなくなるのではと心配した。
私が在籍していた当時の武田薬品の研究所はこんな感じだった。このような研究者のモチベーションがどこから発生するのか。私も不明である。大きいスケールの反復投与毒性試験の剖検が終了した時は、誰が声をかけるでもなく有志で打ち上げ宴会を必ず実施していた。私の場合、この宴会の楽しみもモチベーションの一つだったかもしれない。