谷学発!常識と非常識 第81話 生命の起源と進化⑪ ―ウイルス進化説について(その2)

「ウイルス進化説」とは1970年にアンダーソンが発表した、「ウイルスの感染によって生物に持ち込まれた遺伝子が生物を進化させる」という仮説です。今回は日本のウイルス進化説の現状を取り上げます。日本のウイルス進化説の現状には特殊な事情があります。

1.中原英臣氏らによるウイルス進化説

山梨医科大学の中原英臣氏らは、アンダーソンのウイルス進化説(※1)の重要な部分に改変を加えたウイルス進化説を1986年に山梨医科大学紀要に掲載し(※2)、その後多くの啓蒙書を出版して彼らのウイルス進化説を世に広めました。両進化説の相違点は、アンダーソンが突然変異と自然選択を基本原理とするネオ・ダーウイニズムを肯定し、ウイルスによる進化を補完的な現象と位置付けたのに対し、中原氏らは進化の原因をウイルス感染による遺伝子の持ち込みに限定し、ダーウインの自然選択による進化も、ネオ・ダーウイニズムでいう進化の原因としての突然変異も、完全に否定してしまった点です。彼らは自分たちのウイルス進化説を次のように説明しています:

「進化とは、種が進化病というウイルス性の伝染病にかかったと考えればいいのである。キリンの首は、高いところにある木の葉を食べるために長くなったのではなく、首が長くなる病気にかかったため、仕方なく長くなった。爬虫類は、飛びたいから進化して鳥類になったのではなく、突然、羽根が生える病気にかかったから仕方なく飛びだしたのだ ー と。」 (※2、p17) 。

彼らは、この新仮説によって、ダーウインの進化論では十分に説明できなかった急激な進化、絶滅、定向進化、並行進化がうまく説明できると主張します(※2、p17)。

2.中原氏らのウイルス進化説の問題点

上記の原著論文には一定の説得力がある反面、多くの問題点があります。例えば彼らはウイルスがキリンの首を突然長くしたといいますが、そのウイルスや遺伝子の働きを全く説明していません。それらを少しでも考えておれば、この仮説には重大な問題が隠れていることに気づいたはずです。

左の写真(文献3より引用)はキリンの骨格です。キリンの先祖は首が短いロバのような動物と考えられていますが、それと比較すると、頚骨が極端に太く長くなり、その重い首を支える筋肉の腱が付着する脊椎骨の棘突起が恐竜の骨のように発達しています。足の骨も首に劣らず長くなり、後ろ足の中間あたりの突起がヒトではアキレス腱が付く踵(かかと)の骨に相当し、その上が脛骨(スネの骨)、その下が足の裏の骨(中足骨)です(この中足骨が脛骨や大腿骨よりも長い)。骨格の他にも首や足の筋肉、血管、神経、食道、気管などを長くし、高くなった脳に十分な血液を送るために心臓や血管を強化し、血圧を高くする必要があります。キリンの進化といえば普通は首が長くなることだけを考えますが、キリンはその長くて重い首とバランスを取るために、全身的な進化を遂げているのです。

ここで、ウイルスによってキリンの先祖に持ち込まれたという「進化遺伝子」の数を考えます。もし遺伝子の数が1個だけなら、その遺伝子は首の骨を太く長くする能力に加え、その長い首とバランスが取れるような全身的改造をする能力まで持っていたことになります。通常、1個の遺伝子は1個のタンパク質を意味するので、この仮説は、キリンを知らないその1個のタンパク質に、キリンの先祖の全身をバランス良く改造してキリンにする能力まで期待する仮説ということになります。

一方、全身的改造には多数の遺伝子が必要と考えられます。ところがウイルスは通常非常に小さいため、宿主細胞の代謝系を利用して増殖するための必要最小限の遺伝子しか持っていません。そのウイルスがキリンの先祖の首を長くする遺伝子を1個でも持つ確率は極めて低いと考えられます。ところが彼らの仮説は、そのウイルスがキリンの先祖の全身をバランス良く改造して一挙にキリンにするための多数の遺伝子を持っていたと仮定することになります。ところでそのウイルスは、多数の「キリン改造遺伝子」を一体どこからどうやって調達したのでしょうか?結局、彼らのウイルス進化説は、1個のウイルスまたはその遺伝子に、創造主である神様のような能力を期待しているのです。

進化が突然起こるという彼らの主張は、「超躍進化説」と呼ばれる昔からあった進化説の1種です。160年以上も前に、ダーウインは『種の起源』第6章で跳躍進化説の問題点を論じており、「跳躍的な進化の存在を主張する人は結局、超自然的な力の存在を認めているのである」、と結論しています。

上記原著論文のもう1つの問題点は、彼らがダーウインの進化論を否定するために用いた論理にあります。彼らは進化途上のキリンやその化石が発見されない理由は、キリンの首が突然長くなったからで、キリンの首が時間をかけた自然選択の結果長くなったとするダーウインの進化論は誤りであると主張します。ところが、中間的長さの首を持つキリン科の動物の化石が複数種発見されています(※4)。更に、1899年にアフリカの密林で発見されたオカピは、足と後半身の縞模様はシマウマに似ていますが、蹄(ひづめ)の数が2個、角や長い舌を持つなどの特徴からキリン科に分類され、進化途上のキリンの生きた化石とみなされています(※5)。

彼らはまた、鳥と爬虫類の中間生物が発見されない理由も、鳥が爬虫類から突然進化したからだと主張します。しかし、1862年に発見された始祖鳥は爬虫類と鳥類の中間生物として有名です。

更に彼らはネアンデルタール人が突然絶滅した理由は、ウイルス感染によって種が突然変化して、クロマニヨン人(現生人類)に変わったためたと主張し、次のように書いています:

「種が変わる以上、別の種同士での生殖は不可能である。Aさんの息子とBさんの娘が結婚しても子供は生まれない――という状態が起これば、進化どころか種の絶滅になってしまう。穏やかな種の進化など、この一事だけでもありえないといえるだろう(※2、p16)。」

実際にはネアンデルタール人と現生人類は同種もしくは亜種であり、交雑した証拠もあります(※6)。非アフリカ系の現代人では、地理的に欧州に近いほどゲノム中のネアンデルタール人由来遺伝子の比率が高く、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で重症化しやすいことが分かっており、欧米諸国の感染者数や重傷者数が日本を含む東南アジア諸国よりも多い一因とされています(※7)。

彼らの原著論文にこれほど多くの問題がある理由は、それが専門家による査読がない大学紀要に掲載されたためと考えられています(※4)。以上は中原氏らの原著論文中の問題点のみを取り上げましたが、彼らが出版した多くの啓蒙書にも科学的に問題のある記述が多いことが専門家から指摘されています。批判者の一人は次のように書いています;

「中原と佐川が、独自性を発揮しようとウイルス進化説に余計な謬見を多数くっつけたおかげで、ウイルス進化説そのものがいかがわしい理論であるかのような印象を世間に与えてしまった。(中略)その意味で、彼らによる一連の啓蒙活動は、功罪相半ばするというよりも、むしろ罪の方が大きかったのではないかと評さざるをえない。」(※4)

(第82話に続く)

(馬屋原 宏)

引用文献