谷学発!常識と非常識 第73話 生命の起源と進化③ ―物質から生命への進化を可能にしたカギは寄生体との共進化?
最近(2020年7月)、生命の発生と進化の研究に画期的な進展をもたらしたと思われる研究論文の発表とプレスリリースが国内でありました(※1)。今回はこの話題に絞ってお伝えします。
1.本研究の概要
フランス国立科学研究センターの古林太郎博士研究員、東京大学の市橋伯一教授らは、原始生命体のモデルとして自己複製能を持つ人工RNAを用いて、実験室で約300世代に及ぶ長期の進化実験を行いました。その結果、元の RNA(宿主RNAと呼ぶ)に依存して増える寄生型の RNA(寄生体 RNA と呼ぶ)が元の RNA の複製ミスにより自然発生しました。この寄生体 RNA と元の宿主 RNA が、互いに対する耐性を次々に獲得する現象が認められました。この現象の結果、宿主RNAと寄生体RNAの双方が止まることなく進化を続け多様な種類へと分化することが発見されました(※1)。 これまでウイルスなどの寄生体と宿主生物との共進化は、生物進化における重要な駆動力のひとつだと考えられてきましたが、本研究成果は、その起源が生命誕生前までさかのぼる可能性を示しており、発表者らは寄生体との共進化が、物質から生命への進化を可能にしたカギだったのではないかと考えています。
2.本研究の背景
生命誕生の前には、自己複製する分子システム(例えばRNAワールド、第72話参照)が存在し、それらが少しずつ進化して生命が誕生したと考えられてきました。しかしこれは完全に想像でしかなく、例えば、初めて進化する分子システムを作ったアメリカのシュピーゲルマンらのグループは、出発材料のRNA が進化するにしたがって短くなり、進化が止まってしまうことを報告しており、その後もいくつかのグループが同様の進化実験を試みましたが、いずれも進化はすぐに止まってしまい、分子のシステムが進化して生命に近づいていく様子を観察した研究グループは皆無でした(※1)。
3. 本研究の実験系
発表者らのグループは、シュピーゲルマンらの分子システムを基に、独自のRNA自己複製システムを構築しました。出発材料のRNAはRNA複製酵素(注:バクテリオファージ由来)をコードしているので、原材料とエネルギーさえ供給すれば自己複製が可能な筈です。従来の研究との大きな違いは発表者らが独自に開発した「無細胞翻訳反応液」を培養に用いた点です。この反応液は大腸菌から調製したもので、元のRNAの翻訳に必要なRNA類、リボソーム、タンパク質、低分子化合物(アミノ酸や核酸塩基等)および反応に必要なエネルギー源も全て含んでいます。この反応液を使えば、元のRNA は自身がコードするRNA複製酵素遺伝子からRNA複製酵素を翻訳し、これが元のRNAを複製するので、自動的自己複製が可能です。このシステムを油中水滴に封入し、「無細胞翻訳反応液」を追加しながら培養すると、元のRNA は自己複製を繰り返しました(※1・2)。
4.突然変異による‘進化した’RNAの自然発生
上記システムでRNAの継代を重ねているうちに、元のRNAの複製の際の複製ミスにより、突然変異したRNAが発生じました。元のRNAよりも自己複製が早くなった(=進化した)RNAが出現すると、 RNA集団の中で自分のコピーを増やし、次第に突然変異体が集団の大部分を占めるようになりました。実験者らは、この現象がまさにダーウイン的進化(適応進化)と呼ばれる現象であると見ています。
5.元のRNAの突然変異による寄生体RNAの自然発生
この実験系によるRNAの継代をしばらく続けたところ、元のRNAに寄生して増える短いRNA(以下、寄生体RNA)が出現しました。この寄生体は、元の RNAが持っていた RNA 複製酵素遺伝子を欠損しているため、単独では増殖できませんが、同じ油中水滴に元のRNA が存在すれば、その RNA が翻訳したRNA複製酵素を利用して増殖できます。この意味で、元のRNA を宿主、短い RNA を寄生体とみなすことができます。
6.宿主RNAと寄生体RNAの共進化の発生
この進化実験の最初と途中で生じた宿主および寄生体 RNA について、各々の構造と増殖率を比較した結果、寄生体の増加を抑制する能力を持った(=耐性を獲得した)新型の宿主 RNA が進化してくることが分かりました。次に、その耐性をかいくぐって増殖する新型の寄生体が生まれてくること、更にこの新型寄生体に対して耐性を獲得した新型宿主 RNA が出現してくることも分かりました。この新型宿主も安泰ではなく、これに対しても寄生して増える次世代型の寄生体が現れました。
このような次から次へと相手に対応したものが現れる現象を、進化生物学では「進化的軍拡競争」と呼びます。この進化的軍拡競争による宿主 RNAと寄生体 RNA の共進化は止まることなく続き、現在(論文作成時)で300 世代以上続いていて、止まる気配はありません(※1・2)。
7.宿主RNAの系統分化及び多様性の出現
進化的軍拡競争によって、次世代型の宿主や寄生体が次々に生まれ、両者に多様性が生まれてくることが分かりました。また、それらの類縁関係を調べることにより、宿主も寄生体も多様な系列へと進化し、複雑な分子生態系が生まれていることが分かりました。これらの結果から、ひとたび寄生体が出現すると、宿主と寄生体との進化的軍拡競争によって進化は持続的になり、宿主も寄生体も共に多様化することが発見されました(※1・2)。
8.本研究の意義
上記研究には2つの点で生命の起源と進化の研究史上、画期的な重要な意義を持っています。第1の意義は、この実験が、進化、寄生体の発生、共進化といった、生物の世界に特有と思われていた諸現象を、物質だけからなるシ ステムで再現させた世界で最初の報告例であることです。特に、寄生体の発生と共進化は予想外の結果であり、進化生物学の歴史に残る快挙です。また本実験の結果はウイルスの起源に関しても示唆的です。ウイルスの起源については、生命の発生以前から存在していたという仮説と、生物自身のゲノム(例えばトランスポゾン)が独立してウイルスになった、との2つの仮説がありますが、本研究の結果は後者の仮説を支持するものです。
第2の意義は、この実験が生命の発生に関する最大の謎を解くカギを提供したことです。その最大の謎とは、生命を構成する核酸やタンパク質のような極端に複雑な高分子化合物がランダムな化学反応で発生する確率はゼロに等しいとの確率論的主張にも関わらず、地球上に生命が発生できたのはなぜか、という問題です。今回の実験が提示した解決のカギが「共進化」です。上記研究で宿主と寄生体は、互いに対する「耐性」を突然変異によって獲得することを繰り返しました。これは宿主と寄生体か互いに特定の方向へ進化するように圧力を掛け合った結果起こった進化的軍拡競争(=共進化)が、特定方向への進化を促進させたと考えられます。現実の生命の発生過程においても、各種の物質間の「共進化」が、ランダムな化学反応の場合と比較して遥かに短時間で高分子化合物や原始生命体を進化させ、結果的に生命が発生するまでの時間を著しく短縮させ、地球上での生命の発生を有限時間内で実現させたと考えられます。
(第74話では、冥王代に発生した生命のその後の進化の歴史をたどります。)
(馬屋原 宏)
引用文献
1)東京大学:https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0109_00395.html
2)Furubayashi, T. et al., “Emergence and diversification of a host-parasite RNA ecosystem through Darwinian evolution,” eLIFE, doi:10.7554/eLife.56038. Jul 21, 2020