谷学発!常識と非常識 第76話 生命の起源と進化⑥――ラマルクの「獲得形質の遺伝説」の復活

1.自然の階段

左の図(文献1より引用)は、地中海スペイン沖のマヨルカ王国の哲学者・神学者ラモン・リュイによる「自然の階段」(1304年)です。各段には下から順にLapis(鉱物)、Flama(火)、Planta(植物)、Brutum(獣)、Homo(人)、Caelum(空)、Angelus(天使)、Deus(神)と書かれています。万物の階層付けは古代ギリシャの哲学者アリストテレスに始まりますが、この図では中世らしく、人の上に天使や神が追加されています。階段は天国の門(向こうに星が輝いている)につながっており、人から上の階段は信仰によって天国に至る道を示していると解釈できます。では鉱物(無生物)から人に至る階段は何を意味するのでしょうか?中世のキリスト教社会では進化思想は禁じられていたので、この階段は単に階層を表していると思われます。しかし近代になり、教会の力が弱まると、この自然の階段が単なる階層ではなく、進化を表しているのではないかと考える博物学者が現れます。

2.ラマルクの進化論

ラマルク(1744–1829)はパリの自然史博物館に勤務する無脊椎動物の専門家でした。彼は『無脊椎動物の体系』(1801)の執筆の過程で、生物は進化すると考えるようになり、1809年(ダーウインの生誕年)に『動物哲学』を刊行し、その中に「全ての生物は進化の途上にある」との彼の進化思想と、次の2つの進化の原則を記しています:

1)いかなる動物においても、頻繁かつ持続的に使用する器官は次第に発達し、より大きくなる。これに対し、器官の恒常的な不使用は、次第にその機能を低下させ、ときに消失させる。

2)個体が獲得したものや失ったものは全て、それが環境の影響によるものであろうと、特定器官の使用不使用の影響によるものであろうと、両性の個体に共通ならば、それらは生まれた子にも保持され、次第に同種の他の個体にも共有される(※2)。

上記の1)が「用不用説」、2)が「獲得形質の遺伝説」と呼ばれるものです。しかし、その半世紀後にダーウインが『種の起源』を刊行して進化の原動力が生存競争と自然選択にあると主張し、更にその1世紀後にDNAが発見されると、ダーウインの進化論における個体変異はDNAの突然変異という裏付けを得て、「ネオ・ダーウイニズム」として更に強化されたのに対し、ラマルクの「用不用説」を裏づける仕組みは発見されず、その後は「獲得形質は遺伝しない」ことが「常識」になっていました。ところが最近、この「常識」が怪しくなってきました。獲得形質の遺伝の可能性が次々に報告されているからです(※3-6)。

3.ラマルクの「獲得形質の遺伝」の再評価

1例を挙げますと、2017年、京都大学理学部生命科学研究科の大学院生(当時)の岸本沙耶さんや西田栄介教授らのグループは獲得形質が遺伝する可能性を示唆する論文を発表しました(※6)。この研究に用いられた実験動物は線虫でした。線虫は線形動物の1種で、地中や水底の泥の中、あるいは寄生虫として他種の体内に棲息しており、種数は約1億種と推定する研究者もいます。線虫の1種のC.エレガンスは体長約1mm、無色透明で、3日で成虫になり、約1000個の細胞しか持たないため、1個の受精卵から成体になるまでの全ての細胞の運命が記録されているなど、様々な利点があり、多細胞動物の標準的実験動物となっています。原始的生物に見えますが、意外なことに、ヒトと同じ約20,000個の遺伝子を持っています(※7)。

岸本さんらが獲得形質の遺伝の検討対象にした形質は「ホルミシス」と呼ばれる「ストレス耐性」でした。「ホルミシス」とは生物を限度以下の軽度のストレスにさらすと、ストレス耐性が向上し、寿命が延長するなどの好ましい効果が得られる現象をいいます。実験に用いられたストレス因子は、重金属塩(亜ヒ酸塩)、高浸透圧(NaCl)、および短期の絶食でした(※6)。

最初に個体発生の2日目に親世代を処理してホルミシスを引き起こす実験条件を確立したのち、この条件で処理した雌雄同体成虫を自家受精させ、F1仔を得ました。このF1仔をストレス処理なしで飼育したところ、F1仔にもホルミシス効果が認められました。さらにF1仔同士を交配させて得たF2仔をストレス負荷なしに飼育したところ、やはりホルミシス効果が認められました。ただし、F3仔ではホルミシス効果は対照群との統計学的有意差がなく、親に対する成長段階でのストレス負荷によるホルミシス効果が継承されるのは子と孫の世代までであり、ひ孫の世代には伝わらないことがわかりました。このことから、ストレス耐性は遺伝子の塩基対の置換を伴わないエピジェネティックな(=遺伝子修飾的な)変化として子や孫に継承されることが分かりました。

4.獲得形質の継承のメカニズム

獲得形質の子や孫への継承のメカニズムを明らかにするため、線虫のオス親だけにストレス負荷を与えたところ、その子や孫世代にもストレス耐性の上昇や寿命の延長が認められました。すなわち、この獲得形質が精子の遺伝子のエピジェネティックな変化によって継承されることが分かりました。そこで次に、獲得形質の継承にヒストン修飾因子が関与しているかを検討するため、ヒストン H3 リジン 4 トリメチル化(H3K4me3)修飾を担う複合体の構成因子WDR-5をノックダウンしたところ、次世代へのストレス耐性の継承が抑制され、ヒストン修飾因子の関与が確認されました。そこで、線虫の組織ごとにWDR-5をノックダウンして次世代の表現型を観察したところ、WDR-5は生殖細胞で機能することで形質の継承を制御していることが分かりました。また、ストレス応答に関与する転写因子(注:ゲノムDNA上の特定の塩基配列に結合し、RNAポリメラーゼによる転写を促進あるいは抑制するタンパク質)をノックダウン法で調べたところ、親世代あるいは子世代の体細胞組織で、調節因子DAF-16、HSF-1、SKN-1が機能していることがわかりました。

5.この実験により獲得形質の遺伝が証明されたと言えるか?

この実験によって全ての獲得形質の遺伝が証明されたとは言えません。なぜなら、これまで報じられた獲得形質の遺伝は、環境刺激に対する反応に限られており、用不用的な獲得形質の遺伝の実験的報告例は知られていないからです。親が獲得した形質が子孫に遺伝するためには、その獲得形質の情報が遺伝可能な情報として生殖細胞のゲノムに記録される必要があります。以下は私見ですが、例えば親の激しい使用による筋肉や脳の発達のような用不用的な獲得形質は、生殖細胞とは無関係に起こった変化であるため、遺伝可能な情報として生殖細胞に記録されることはなく、したがって遺伝しないと考えられます。これに対し例えば毒物、高浸透圧、飢餓、放射線などの環境的な刺激は親動物の体細胞だけでなく生殖細胞にも作用するため、親の体細胞に生じたストレス耐性等が体細胞と生殖細胞との組織間コミュニケーションによって、遺伝可能な情報として生殖細胞のゲノムに記録され、子孫に遺伝すると考えられます。(第77話に続く)

(馬屋原 宏)

引用文献
1)長谷川政美:『進化38億年の偶然と必然』、(株)図書刊行会(2020)
2)ラマルク:『動物哲学』、小泉 丹・山田 吉彦 (訳)、岩波文庫(1954)
3)日経サイエンス:https://www.nikkei-science.com/?p=16158
4)理化学研究所:https://www.riken.jp/press/2020/20200311_1/index.html
5)Wired:https://wired.jp/2017/10/10/epigenetics-mechanism/
6)Saya Kishimoto et al. Environmental stresses induce transgenerationally inheritable survival advantages via germline-tosoma communication inCaenorhabditis elegans. Nature Communications volume 8, Article number: 14031 (2017) http://doi.org/10.1038/ncomms14031
7)二井一禎:https://www.nippon-soda.co.jp/nougyo/pdf/new001/001_038.pdf