谷学発!常識と非常識 第79話 生命の起源と進化⑨――今西進化論について

1.今西進化論とダーウイン進化論の関係

今西錦司京都大学名誉教授(1902-1992)は、日本の自然人類学の創始者であり、探検家・登山家としても有名です。彼は博士論文を書くため、研究室(京都大学理学部動物学教室)から歩いて10分ほどの加茂川で、4種のカゲロウの幼虫の分布を研究しました。彼は流れが早く小石の多い場所に棲む種は水の抵抗が少ない平たい体を持ち、流れが遅く砂や泥の多い場所に棲む種は砂にもぐりやすい尖った頭をもつなど、それぞれが環境に適応した形態に進化し、また、異なる集団(種社会)が非競合的に棲み分けていることを発見し、有名な「棲み分け理論」(1939)を提唱しました。

棲み分け理論はのちに進化論に発展します。今西進化論はダーウインの進化論を否定した進化論であるとよく言われます。例えば更科功氏は、今西進化論はダーウインの自然選択説を否定した誤った進化論であると切り捨てています(※1)。しかしこれは誤解であり、今西氏が自然淘汰を否定していないことは、例えば今西氏がダーウインの『種の起源』の続編に相当する大著『人類の起源』(※2)を監訳した際に、その解説として彼自身が書き下ろした『ダーウインと進化論』(※3)の中に、次のように書いていることから明らかです:

「生物の進化とは、生物がこの(環境への)適応を続ける行動を通して、みずからを作り変えていくことである。しかし、適応である限り、環境を無視したでたらめな作り変えをしたのでは意味をなさない。環境に適応しないものをいくら作ってみても、環境のほうでこれを受け付けないからである。この環境による選択作用を自然淘汰という(※3,p60)。

ただし彼は、ネオ・ダーウイニストたちが後からダーウインの進化論に追加した「一定の頻度で起こる無方向な突然変異」だけでは、例えば大量絶滅の後の爆発的進化や、ウマの進化のような一定方向に進行した進化は説明できないと考えていました。彼は進化には生物の主体的関与があると考え、自らの進化論を「主体性の進化論」と呼んでいました。同様の考え方はダーウインにも認められます。今西氏がダーウインの『人類の起源』を監訳した理由も、その中でダーウインが提唱する性淘汰仮説が、メス鳥の「好み」という一種の「主体性」がオス鳥の美しい尾羽根を進化させたと説明しており、その点が今西氏の「主体性の進化論」と合致したためと考えられます。

2.今西氏はラマルキストだった

今西氏は上記『ダーウインと進化論』に、「多発突然変異」の項を設け、進化には停頓期と進行期があり、進行期には多発突然変異が認められると述べたあと、「ここにおいて私には、多発突然変異説をいだいて、ラマルキストの陣営に投じるべきときが来たのである」と宣言しています(※3、p58)。今西氏は同論文に、「ラマルク進化論の再評価」の項を設け、次のように書いています:

「ピエール・ラマルク、彼ほど不遇な人は少ないであろう。進化を認め、その理論構成を最初に成し遂げた人であるにもかかわらず、生前はもとより、死後百数十年を経た今日でもなお彼の功績は正当に評価されていない。」(※3、p58)

今西氏はラマルクが『動物哲学』(1909)(※4)に、環境が動物の習性を変化させ、習性の変化は形態の変化をもたらすと書いていることを引用し、「ラマルクの考えには今からみても別におかしいところがあるようには思われない。」と述べています(※3、p59)。

3.ラマルクの進化論が否定されたのはなぜか?

ラマルクの進化論は長い間誤りとされてきました。この「常識」は、当時有名だった発生学者ヴァイスマンがラマルクの進化論を否定する目的で実施した実験から始まったものです。彼は尻尾を切ったネズミに仔を産ませ、生まれた仔の尻尾をまた切ることを5世代に渡って繰り返し、合計901匹の仔を調べた結果、尾に何の異常も生じなかったことから、ラマルクの用不用説は誤りであると結論し、以後、ラマルクの進化論は誤りという「常識」ができ、現在に至っています(※5)。

しかし、この実験は2つの点で誤っています。第1に、ラマルクの進化の第一法則でいう「ある器官が継続的に不使用状態にある場合、その器官は退化する」でいう継続的不使用は、その器官を使う必要がないための不使用であり、その典型的な例は、天敵がいない環境での飛べない鳥の進化や、ヒトの尾の消失です。一方、ネズミの尾を切断し続けた場合の尾の不使用は、外傷のためにネズミが尾を使えなかっただけであり、ラマルクがいう継続的不使用とは無関係です。第2に、当時は進化や退化に数百万年単位の時間がかかることが分かっていなかったため、わずか1-2年の実験で退化の有無が結論できると思っていたことです。このような誤った実験でラマルクの進化論が否定され、現在もその否定が続いていることは、科学史上の汚点といえます。

ただし、今西進化論には弱点がありました。その中心的概念である「主体的進化」や、「多発突然変異」のメカニズムを説明できなかったことです。今西氏の「進化は起こるべきときに起こるべくして起こる」との理解困難な説明(※6)と、否定することが常識となっていたラマルク進化論を支持したことで、今西進化論はラマルクの進化論の同類とみなされ、殆ど無視されてきました。

4.現代の総合進化説から見た今西進化論

私見ですが、今西進化論は、現代の総合進化説の立場から説明可能であると考えます。現代の総合進化説とは、ダーウインの自然選択説、集団遺伝学、遺伝子の本体としてのDNAの構造とその突然変異、及び分子進化の中立説などを総合的に取り入れた最新の進化説をいいます。木村資生氏の中立進化説によれば、突然変異には方向性がないため、生存に有利な変異、不利な変異、及び有利でも不利でもない中立的変異が生じます。自然選択により、生存に有利な変異は保存され、不利な変異は淘汰されますが、変異の大部分を占める中立的変異も、淘汰圧がかからないため保存されます(※7)。これは、環境の安定期が長ければ蓄積される中立的変異も多くなることを意味します。

過去に5回あった大量絶滅の後には必ず、生き残った生物の爆発的増殖と一斉進化が起きています(第75話参照)。6,500万年前の最後の大量絶滅を例に取ると、環境を独占していた優占種の恐竜類が絶滅して環境に空白が生じると、生き残った鳥類や哺乳類がその空白を埋めるように爆発的に増殖する中で一斉進化が起きました。一斉進化が起こるには個体変異が一斉に出現する必要があります。これらの個体変異は生き残り生物の爆発的増殖の過程で生じた新しい突然変異に加えて、過去の環境安定期に蓄積した多数の中立的変異の一部も加わったと考えられます。なぜなら、これらの変異は古い環境に対しては中立的でも、新しい環境では生存に有利となるものが多数含まれていると考えられるからです。個体の爆発的増殖と、中立的変異からの転換という2つの原因で起きた「環境に適した変異の一斉出現」は、今西氏がいう「多発突然変異」と結果的に同じものです。またその結果起きた一斉進化は、タイミングとスピードから、今西氏がいう「起こるべきときに起こるべくして起きた進化」に相当すると思われます。このように、今西進化論は総合進化説によって説明可能であり、ダーウイン進化論と同様に、総合進化説に包含されていると考えられます。

今西氏は1965年に京都大学人文科学研究所所長を定年退官されました。そのときの退官記念最終講義を聴講した大学院生の1人として、その後も今西進化論に関心を持ち続けてきましたが、最近、ラマルク進化論の核心というべき「獲得形質の遺伝」の可能性を示唆する報告が増えてきたことから(第76話参照)、60年前にラマルクの再評価の必要性を強調された今西錦司博士の「勘」が、結局は正しかったことと、生命が持つ能力の奥深さに、改めて感慨を覚えます。(第80話に続く)

(馬屋原 宏)

引用文献

1)更科功:『進化論はいかに進化したか』、新潮選書(2019)
2)チャールズ・ダーウイン:『人類の起源』、池田次郎・伊谷純一郎訳、今西錦司責任編集、「世界の名著」39、中央公論社、63-574(1967)
3)今西錦司:『ダーウインと進化論』、「世界の名著」39巻、中央公論社、5-62(1967)
4)ラマルク:『動物哲学』、小泉 丹・山田 吉彦 (訳)、岩波文庫(1954)
5)永井俊哉:https://www.nagaitoshiya.com/ja/2017/horizontal-gene-transfer-in-evolution/
6)今西錦司:『私の進化論』思索社(1971)
7)木村資生:『生物進化を考える』、岩波新書(1988)