谷学発!常識と非常識 第80話 生命の起源と進化⑩―ウイルス進化説について(その1)
「ウイルス進化説」とは、「ウイルスの感染によって生物に持ち込まれた遺伝子が生物を進化させる」という仮説です。ウイルス進化説には2種類あり、1つは現在主流の進化説であるネオ・ダーウイニズムを否定せず、これにウイルスによる進化を追加する進化説です。もう1つは進化の原因をウイルスに限定し、ネオ・ダーウイニズムを否定する進化説です。まず前者から見ていきます。
1.アンダーソンのウイルス進化説
ウイルス進化説の最初の論文は、1970年9月に出版された『Nature』に掲載されたノーマン・アンダーソンの“Evolutionary Significance of Virus Infection”(ウイルス感染の進化的重要性)と題する論文とされています(※1)。この短い論文は、半世紀後の今読んでも、コロナ禍に苦しむ人類とウイルスとの関係を考える上で極めて貴重な内容なので、詳しく取り上げます。
アンダーソンがウイルスと生物の進化の関係に気づいたきっかけは、1970年にテミンとボルティモアが別個にレトロウイルスの逆転写酵素を発見したことでした。レトロウイルスはRNAウイルスの1種ですが、彼らはレトロウイルスが感染後、自身の逆転写酵素を用いてRNAゲノムを鋳型にしてcDNA(相補的DNA)を作り、それを宿主のゲノムに組み込むことを発見しました。当時のセントラルドグマでは、遺伝情報の流れをDNA → RNA → タンパク質の1方向しか考えなかったのに対し、彼らは逆行する情報の流れがあることを初めて明らかにしたのです(2人はこの業績でノーベル賞を受賞)。この論文を読んだアンダーソンは、ウイルスが自身の遺伝子を宿主のゲノムに挿入できるなら、その挿入されたウイルス遺伝子が生物を進化させる可能性があると気づき、直ちにそのアイデアをレターとして『Nature』に投稿しました。彼はその中でウイルスが生物を進化させると考える根拠を以下の7項目にまとめています(内容に補足や反論が必要な場合はカッコ内に注記):
- もしもウイルス感染が宿主となる生物を病気にするだけで、宿主に何の利益も与えないとすれば、生物はもっと完璧な感染防止機構を進化させていたに違いない。生物がウイルスに対して不完全な免疫を持つことは、ウイルス感染が宿主に何らかの利益をもたらしている可能性を示唆している。例えば液性免疫(抗体)は、感染後に形成されるが、感染後に抗体を作ることに重要な意味があって感染を許している可能性もある。(注:別の可能性もある。ウイルスと生物とは生命の発生以来ずっと共進化関係にあり、互いに相手を出し抜く進化を反復しているため、一方が完全に競争に勝利して、一方が相手を完全に絶滅させることはない、と説明することも可能。)
- 特定の細胞内でしか増殖しないウイルスもあるが、例えば昆虫から脊椎動物に感染するアルボウイルスのように、多くのウイルスは生物の種、あるいはしばしば門を容易に超えて感染する。
- SV40ウイルスやポリオーマウイルスが宿主のDNA断片を自身のゲノムに組み込み、それを他の細胞に転移させる事実は細菌でも動植物細胞でもよく知られている。
- ウイルスの全てのゲノムが生殖細胞に組み込まれ、次の世代に遺伝する可能性がある。(注:本論文発表後の1983年に発見されたヒト免疫不全ウイルスHIV-1は、ヒト精巣細胞のゲノムに自身を組み込ませて次世代に伝わり、内因性のHIV-1感染をもたらす可能性がある。)
- 異なる種に同じような進化が起きる並行進化は、個別で起きる遺伝子の偶然の突然変異よりもウイルスの種を超えた感染によって容易に説明できる。(注:共通の祖先を持つ近縁の系統で同時並行的に同じような進化が起こる場合はその通りと思われる。しかし、並行進化の定義にもよるが、例えば爬虫類の翼竜と哺乳類のコウモリの翼がよく似ているといった並行進化は、進化の時期が数億年も離れていることもあり、空中を飛ぶという共通の目的と、流体力学的法則の存在が、似たような個体変異を自然選択した結果と説明する方が合理的である。)
- 遺伝子コードが種を超えて普遍性を持つことも、ウイルスの種を超えた感染によって容易に説明できる。(注:部分的に反論可能。遺伝子コードが種を超えて普遍的な理由は、遺伝子コードの成立時期が生命の起源と同程度に古いためと説明可能。またウイルスの発生が、細菌や真核細胞よりも遅く、これらへの寄生体として発生した可能性もある。)
- 最も強力な説得力ある議論は、生物の進化が小さな突然変異の積み重ねよりも、遺伝子単位のまとまったゲノムの変更による方がより効率的に進むことである。これを国家に例えると、改革が必要な場合、法律の条文を1度に1単語しか改定できない規則を持つ国会と、条文全体またはその一部を変更可能な国会とで、どちらが効率的に国家を改革できるかを考えれば分かる。
アンダーソンに始まるウイルス進化説は最近、支持者が増えています。その理由は、今世紀に入ってから相次いで発見された巨大ウイルスに、真核生物と共通する遺伝子が次々に発見されたこと、更に近年のゲノム解析の普及により、多くの生物のゲノム中に多数のウイルス由来遺伝子やその断片が発見され、それらの一部が生物の現役の遺伝子として機能していることが裏付けとなっているからです(※2-4)。
2.進化へのウイルス感染の関与の実例
真核細胞のタンパク質合成には20種類のアミノ酸が使用され、それぞれのアミノ酸に対応するアミノアシルtRNA合成酵素が必要です。これらの20種類の酵素の遺伝子が全て巨大ウイルス中に発見され、真核細胞のこれらの遺伝子が巨大ウイルス由来である可能性があります(※2)。
また、真核生物の核タンパク質のヒストンは、DNAを折り畳んで核内に収納するために必須のタンパク質ですが、アメーバに寄生する巨大ウイルスの1種のメデユーサウイルスが、5種類あるヒストンタンパク質の遺伝子を全て持つことが発見されたことから、太古の昔に真核生物がメデユーサウイルスを取り込み、その遺伝子に新たな役割を与えた可能性があります(※3)。
更に、レトロウイルス起源の遺伝子PEG-10が、カモノハシなど卵生の単孔類にはなくて、有胎盤類(カンガルーなどの有袋類とヒトなどの哺乳類)の胎盤で発現することが発見され、1億6600万年前に単孔類と有胎盤類が分岐した進化にPEG-10が貢献した可能性があります(※4)。すなわち、これらの共通の祖先の動物にPEG-10を持つウイルスの偶然の感染がなければ、現在、カンガルーもヒトも存在していない可能性があります。PEG-10の他にも、哺乳類の脳の進化に関係する遺伝子RTL-1や、ウシの胎盤の進化に関係する遺伝子VERV-K1など、ウイルスによる進化を示唆する事例が次々に発見されており、今後も発見が続くものと考えられます。
3.ウイルス進化説の魅力
ウイルス進化説には大きな魅力があります。現在主流の進化説、ネオ・ダーウイニズムでは突然変異がDNAの塩基対単位で起きると考えるため、進化の単位はいわば「点の変異」であり、しかもこの変異には方向性がないため、ある個体に有用な突然変異が起きたとしても、それが種全体に伝わって進化となるまでには膨大な時間が必要です。生物の進化の歴史上、絶滅種が無数にあるのは、環境の激変に適応するための十分な時間がなかったための絶滅と考えられます。これに対し、ウイルス進化説では、進化の単位はウイルスが持ち込む遺伝子単位であり、しかもその遺伝子にはもともと何らかの機能があります。その機能が環境への適応に役立つこともまれにはある筈です。更にこの遺伝子はウイルス感染によって同世代の多くの個体に水平拡散するため、進化が一世代で起こる可能性もあります。このようなウイルス性の進化は、パンデミックにより、未来の人類に起こる可能性もありますが、未来の人類は、必要があればウイルスをベクターに用いた人為的な進化を試みることも考えられます。(第81話に続く)
(馬屋原 宏)
引用文献
- Anderson, Norman G. “Evolutionary Significance of Virus Infection.” Nature 227, no. 5265 (September 26, 1970): 1346–47. doi:10.1038/2271346a0.
- 武村正春: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/5164
- 緒方博之ら: https://www.nips.ac.jp/release/2019/02/_dna.html
- 金児 – 石野 知子・石野 史敏:胎盤の起源に関係するレトロトランスポゾン由来の遺伝子.日本生殖内分泌学会誌、vol.12,30-32,(2007)