谷学発!常識と非常識 第60話 睡眠とは何か④:ノンレム睡眠の機能

 睡眠はノンレム睡眠から始まります。ノンレム睡眠とは「急速眼球運動」(レム、第61話参照)を伴わない睡眠を言います。客観的に観察容易なノンレム睡眠の例は通勤電車の中の居眠りです。電車の騒音も車掌のアナウンスも耳に入らず、下車駅を寝過ごすほど熟睡していても、体が倒れそうに傾くと自力で姿勢を元に戻そうとします。これから分かるように、ノンレム睡眠には以下のような特徴があります:①意識は消失している、②骨格筋の緊張は残っている、③夢は殆ど見ない。短時間の居眠りでも覚醒後は頭がスッキリすることから、ノンレム睡眠の機能の1つは脳の疲労回復ですが、他にも以下のような機能があることがわかってきました:

1.ノンレム睡眠中に脳内環境が最適化される

 記憶は神経細胞間の情報伝達装置であるシナプスの新生により、新しい神経回路網が形成されることにより形成されると考えられています。しかし、毎日入力し続ける外部情報を全て保存していては記憶容量が飽和して、新規情報の処理が困難になると考えられます。従って脳は何らかの方法で不要な情報を消去して、脳に「空き容量」を作り出し、脳内環境を最適化していると考えられます。この脳内環境の最適化がノンレム睡眠中に進行するという仮説があります。十分な追試によって確認されてはいませんが、ハエやマウスで睡眠中にシナプスが減少するという報告があります(※1)。

 高等動物ではこの脳の最適化に「徐波」が関係していると考えられています。「徐波」とは深いノンレム睡眠時に大脳皮質で発生する4Hz以下の低周波数・高振幅の脳波をいいます。脳内の各部位の神経細胞の活動が盛んなほど各細胞の膜電位が打ち消し合い、脳波は高周波数・低振幅になります。ところが「徐波」では多数の神経細胞が同期して発火するため、逆に低周波数・高振幅となります。メカニズムは不明ですが、この「徐波」が重要度の低い記憶に関連するシナプスを消去して重要な記憶のS/N比を高め、記憶容量を増加させて、脳内環境を最適化すると考えられています(※1)。

 脳内環境の最適化には海馬も関係しています。海馬の記憶は長期保存されないことから、海馬には古い記憶を消去して、海馬内の環境を最適化する自発的な機構(長期抑圧)が存在すると考えられてきました。長期抑圧のメカニズムは不明でしたが、東京大学の池谷裕二教授らは最近、海馬が発生するリップル波という100~200Hzの脳波が比較的古い記憶に関係する神経細胞に選択的に働きかけて長期抑圧をひき起こしていることを明らかにしました(※2)。

2.ノンレム睡眠中に記憶が固定される

 理化学研究所の宮本大佑氏らは、マウスを2群に分け、1群は学習直後に1時間の睡眠を取らせ、もう1群は学習直後に1時間断眠させて学習成績を比較しました。その結果、学習直後に断眠させたマウスでは記憶の定着が阻害されることを見出しました。一方,学習の6~7時間後に断眠させても学習成績には影響しませんでした。これらの結果は、知覚記憶の固定化に学習直後のノンレム睡眠が有効であることを示唆しています(※3)。同様の結果はヒトでも確認されています(※1)。

3.ノンレム睡眠中に成長ホルモンや性ホルモンが分泌される

 成長ホルモンは成長だけでなく、脳を含む生体組織を構築したり修復したりする機能を持つ重要なホルモンです。成長ホルモンの分泌の時間帯は深いノンレム睡眠期(熟睡期)と同調しています(※4)。重症のアトピー性皮膚炎の子供は夜間のかゆみで睡眠が浅くなりやすく、成長ホルモンの分泌が不足して低身長になりやすいと言われています(※4)。

 また、ストレスに苦しむヒトが不眠症になリやすい理由は、ストレス過多状態で分泌されるストレスホルモン(脳下垂体ホルモンの副腎皮質刺激ホルモン、副腎皮質ホルモンのコルチゾール、副腎髄質ホルモンのアドレナリンとノルアドレナリンなど)に睡眠抑制作用があるからです。

 ノンレム睡眠中には脳下垂体から分泌される性腺刺激ホルモンの黄体形成ホルモン(LH)の分泌が高まります。LHは男女とも思春期になると分泌が高まり、第2次性徴を発達させます。LHは女性では卵胞から排卵をおこさせて黄体を形成させ、男性では精巣に作用して男性ホルモンであるテストステロンの分泌を促進します。テストステロンの血中濃度も睡眠中に増加します。このように、眠ることは性成熟にとって極めて重要です(※4)。

4.ノンレム睡眠中に免疫活性化がおこる

 睡眠はまた免疫増強過程と密接に関わっています。生体がウイルスや細菌に感染したときは防御反応を誘発するとともに、免疫細胞からインターフェロンやインターロイキン等の生理活性物質が放出され、発熱とノンレム睡眠を誘発します。感染後に発熱とともに出現するノンレム睡眠は、生体防御ないし免疫増強の重要な一翼を担っており、眠ることで感染症からの回復が早まります(※4)。

5.ノンレム睡眠中に老廃物の排出が最も盛んになる

 アルツハイマー病の原因となる老廃物のアミロイドβは、神経細胞から脳血管外腔を満たしている脳脊髄液中に排出され、一部はマイクログリアに貪食され、残りは髄膜リンパ管から排出されます。この脳脊髄液の流れを「グリンパティック・システム」と呼びます。脳脊髄液は脳室脈絡叢から分泌されますが、その流れはノンレム睡眠時に最も盛んになります。断眠はこの流れを妨げ、マウスの実験では、断眠させたマウスの海馬にアミロイドβが蓄積します(※1)。

6.「ノンレム睡眠中は夢を見ない」は本当か?

 結論から言えばこれは誤りです。日本睡眠学会のまとめによれば、睡眠の種類を脳波で確認しながらノンレム睡眠時とレム睡眠時に被験者を覚醒させ、夢を見ていたかを調査した研究報告が15報あります。レム睡眠中に夢を見ていたヒトの割合(夢見率)は大半が80%以上(最高は88%)であったのに対し、ノンレム睡眠中の夢見率は半数以上の報告が13%以下(うち2報はゼロ)で、ノンレム睡眠中の夢見率の平均は約2割。レム睡眠中の夢見率の4分の1以下でした(※5)。注目すべきは、ノンレム睡眠中の夢見率が研究者によって0%~54%と、極端に違っていたことです。レム睡眠時の夢見率があまり違わなかったことを考えると、ノンレム睡眠時の夢見率の大きな差の原因は、「断片的で曖昧な夢を夢としてカウントするかしないか」の違い、すなわち「夢の定義」が研究者によって異なっていたために生じた、と考えられます。その根拠は、比較的鮮明な夢が多いレム睡眠でさえも、夢を見ていたことは確実だけれど、内容は思い出せない場合が多いことです。脳の活動性がレム睡眠時よりも更に低いノンレム睡眠時には、夢を見る機能も記憶する機能も低く、夢は更に断片的で曖昧になり、かつ思い出し難くなると考えられます。そのため、例えば断片的で曖昧な夢をカウントしない研究者と、その反対にそれらを克明にカウントする研究者では、夢見率が0%~54%と大きく異なる結果を生んだ、と考えられます。

 脳の活動が強く抑制されているにもかかわらず、ノンレム睡眠中でも少しは夢を見る理由は、上記第1・第2項のノンレム睡眠中の脳の機能として、記憶の最適化や記憶の固定があり、その過程で脳が過去の記憶にアクセスするため、そのときに夢が生まれると考えられます(第62話参照)。

次の第61話では、レム睡眠の機能についてまとめます。

(馬屋原 宏)

引用文献

1)櫻井武:「睡眠の科学・改定新版」、講談社ブルーバックス(2017)

2)池谷裕二ら:http://www.f.u-tokyo.ac.jp/manages/topics/data/1518138329_1.pdf

3)宮本大祐・村山正宜http://first.lifesciencedb.jp/archives/12590

4)日本睡眠学会:眠りの深さと生理学的機能、http://jssr.jp/kiso/hito/hito05.html

5)日本睡眠学会:睡眠中の心理的体験、http://jssr.jp/kiso/hito/hito09.html