コロナ禍180日を追うー国策と民意—

佐藤 哲男

はじめに
新型コロナウイルスはこれまで人類が経験したことのないタチの悪いウイルスである。この目に見えない敵の来襲に世界の国々は振り回されている。世界中で7月23日現在1640万人以上の感染者と65万9000人の死者を出し、医療関係者はこれまで経験したことのない感染症に手探り状態で対応している。一方、我が国の政府は当初、これほど深刻な感染症ではないと楽観視していたが、それが後手になり付け焼刃の政策が続いている。

本稿は新型コロナウイルス感染症が始まって以来今日までの動きを国策と民意を中心にまとめたものである。

我が国での新型コロナウイルスの感染者第1号は1月6日に中国武漢市から帰国した男性である。武漢市から帰国後高熱を発症し地元の病院で診察を受けた。1月10日に中国側から新型コロナウイルスの遺伝子情報が公開されたことから、医療機関ではPCR検査が可能になり、上記の患者は、1月16日にPCR検査を受けたところ新型コロナウイルス陽性と判定された。その頃、政府は「インフルエンザと同じだから大したことはない」とほとんど無関心だった。安倍首相は国会での施政方針演説で「コロナ」については一言も触れなかった。初動の遅れがその後の場当たり的政策となったと考えられる。

「新型コロナウイルス感染症専門家会議」の新設
政府では新型コロナウイルスについての対策を考えるにあたって、2月14日に12名の感染症専門家からなる「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」(以下「専門家会議」)(座長:脇田隆字・国立感染症研究所所長)を立ち上げた。政府は最初の1ヶ月ほどは専門家からの意見、提言をかなり聞き入れて国の方針を決めていたが、その後、専門家会議の意見は参考程度にして、行政を中心とした方向に舵を切り替えた。何故か。その理由は、専門家会議では行政官が考えていた社会経済の危機に対応する提言は殆どなかったからである。その後間も無く専門家会議は突然廃止となった。

専門家会議の突然の廃止
政府高官からは専門家会議の学識経験者が前のめりになっており、必ずしも政府の期待した内容とは一致しないことが指摘された。西村康稔経済再生相(新型コロナウイルス担当)は6月24日の会見の中で、廃止の理由として、専門家会議は「新型インフルエンザ等対策特別措置法、特措法と略」に基づくものではないので廃止すると発言した。

しかし、廃止の本当の理由は他にあったと考えられる。専門家会議が2月24日に「これから1−2週間が感染の急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際である」と公表した。それを聞いた安倍首相は激怒したという。何故か。政府との事前調整もないまま突然専門家会議がこのような重要な内容を勝手に公表したことに安倍首相は苛立ったと報道されている。

また、委員の中には政府の対策について批判的な意見を述べる人もいた。これが行政官の神経を逆なでしたことも廃止の原因と考えられる。安倍首相や西村担当相が記者会見で政策の遅れを指摘されたときの決まり文句は「今後、専門家に意見を伺い緊張感をもって対応していく」だ。つまり、専門家会議を隠れ蓑にしていたのである。

新型コロナウイルス感染症対策分科会の新設
西村担当相は、専門家会議に代わるものとして、7月3日に18名からなる「新型コロナウイルス感染症対策分科会」を新設した。分科会は、専門家会議の後継であり、特措法(前出)による法的根拠に基づいたもので、医療の他に経済の専門家も委員となった。廃止になった専門家会議のメンバーの一部は分科会の委員として再度登場している。

分科会の第一回会議後の記者会見で、尾身茂分科会会長はこれまでの政府の対応について、「検査体制拡充の基本的考え、戦略が十分議論されていなかった」とし、感染リスクの大きさや地域に合わせた検査の戦略を提言する考えを示した。会長は個人的見解として、「感染症対策は危機管理であり、最悪の事態を考える。また、分科会では、国や自治体がコロナ感染に関係するデータを把握するのに遅いことも問題視された。尾身分科会会長は「このウイルスは動きが速い国は、いま、どこで重症者が何人いるかもリアルタイムに分かっていない」と指摘した。こうしたデータの収集や共有について、西村担当相は具体的な問題を検討するワーキンググループを作る考えを示した。

分科会の本来の使命は感染症や経済の専門家の助言を政府に提言することであるが、折角の貴重な指摘、提言がすべて政策に反映されるとは限らない。ワーキンググループを新たに作っても結局政府主導の結論になることを危惧する。

PCR検査に関する専門家と行政官との認識の乖離 

感染の第2波への備えを進めるために、分科会では尾身分科会会長らが中心となって政府への要望事項を提出した。その柱の一つはPCR検査の拡充である。感染者数に応じて場所と人を区分し、「ふさわしい検査体制を早急に整備することが必要だ」と強調した。

感染症専門家の中にも、PCR検査を広範囲に行って感染者を隔離すべきであるとの意見が多いが、なぜか予想したほど進まない。積極的な攻めの検査は今や世界的常識である。それにもかかわらず我が国ではPCR検査を受けている人数の増加率が極めて少ない。何故か。政府は機器やそれに携わる人員の確保が困難なことがその理由の一つであるという。しかし、現状ではPCR検査は多くの大学、研究所、民間の検査会社などで日常的に行われており、要望に応じて1日1−2万回検査を実施することは可能である。検査数が目づまりしているのは国の上層部の中にPCR検査の促進に反対する大きな力があるといわれている。事実、ある保健所所長は、国の指令によりPCR陽性者が増えると病院が満床になるので検査数を制限したと本音を暴露した。
安倍首相は自ら指揮を執る新型コロナウイルス対策を「日本モデルの力」と自負した。これに対して7月16日の参院予算委員会(閉会中審査)で参考人として出席した分子生物学者の児玉龍彦教授(東京大先端科学技術研究センター名誉教授)は、首相の自己評価を否定し、対策は「失敗だった」と指弾した。児玉教授は、新宿区に新型コロナウイルスのエピセンター(感染集積地)が形成されつつあると指摘した。また、新型コロナウイルスの遺伝情報を調べた結果、第1波は「中国・武漢型」、第2波は「イタリア・アメリカ型」、そして現在は「東京型・埼玉型」となっているという。それが国内に蔓延している。つまり、今度は外からでなく、東京の内側が感染の中心になりつつあるという。

感染拡大防止に「国の総力を挙げないとニューヨークの二の舞になる」とも述べて、大規模なPCR検査の実施などを通じて制圧することが急務だとの認識を示した。
それでは、第2波にどう備えればいいか。 児玉教授は参院予算委員会で述べた中で真っ先に挙げたのは、検査態勢の見直しだった。医療崩壊を防ぐという名目で政府主導によりPCR検査の数を制限してきたのが最大の誤りであり、「大量の検査をしないというのは世界に類を見ない暴挙です」と指摘した。児玉教授のPCR検査数を増やすことが急務であるとの発言については多くの識者が賛意を表したが、その後マスメディアでは積極的に取り上げていない。何故か。安倍首相の政策を批判したことにより大きな勢力を敵に回した結果かもしれない。
最近、国のPCR検査に関する消極的対応を解消するために、東京都医師会や医療関係者が中心となって東京都内で幾つかの区は独自のPCRセンターを開設した。それにより希望者の検査数が大幅に増加している。多くの専門家が強調している様に、感染拡大を抑えるのはPCR検査による感染者を追跡し隔離すること以外に方法はない。
7月に入り市中感染者が急増し、それに伴って高齢者の感染者も増えている。医療関係者が指摘しているように、市中感染者の増加を抑制するためにはPCR検査を地域を限って広範囲に行うことが必要である。例えば、新宿の夜の店だけではなく、新宿区の住民全てを対象にして行う。幅広く網をかけて陽性者を収容することが急務だ。感染者を隔離することにより、非感染者は安心して業務を続けることができる。それにより経済効果が活性化されることが期待される。

医療現場に関する認識のずれ

今回の新型コロナウイルス感染症に関しては政府の対策と感染症専門家、国民の考え方には大きな認識のずれがある。分科会では、現在の感染状況について、重症者が少なく医療提供体制が切迫していないとした。政府は感染者の多くは20−30歳代の若者なので重症化することはないといっている。しかし、現実は大きく異なっている。20−30歳代の感染者は毎週倍増しており、その上、

職場や病院でのクラスターも増えており、家庭や職場での感染者は徐々に高齢者に移行している。医療関係者は8月までには東京都の感染者数はおそらく一日当たり400人を超えるだろうと危惧している。7月23日現在、東京都ではベットの確保数が3300床に対して入院患者数は946人であるが、おそらく8−9月中には満床になることが危惧される。

菅官房長官や西村担当相は記者会見の席上、「東京の医療体制は逼迫していない」と言った。これに対して、7月22日の東京都のモニタリング会議のメンバーである山口芳裕教授(杏林大学医学部)は、「政府のリーダーの発言は間違っている。都内の医療体制は大変逼迫しているのが現状である」と反論した。政府のリーダーは現状を十分に意識しているが、経済効果とのバランスを考えて公式には危機意識を表さないのだろうか。

医療現場では、医師、看護師などの医療従事者は毎日緊張状態の中で生活を犠牲にしてギリギリで感染拡大を防いでいる。3割の人はうつ状態になっているという。20−30歳代のPCR陽性者には軽症者が多いが、感染症専門家によると、軽症の感染者のピークが出てから18日目に治療を必要とする入院患者数がピークとなり、1ケ月後に重症者のピークがくるという。重症者の場合は、個人のばらつきもあるが、感染して7−10日で重症になる。基礎疾患を持っている場合はさらに早くなる。病院関係者の情報によると、コロナ患者を収容している医療機関は財政的に大変切迫した状態である。国は医療機関に対する早急な財政支援が急務である。さもないと、激務が続いている医療従事者の感染と患者の急増により、間もなく医療崩壊が起こることは間違いない。

おわりに

2020年1月に我が国で新型コロナウイルス感染症患者が出て以来6ヶ月が過ぎた。これを第1波というならば、7月末からの現状はまさに第2波と考えてよい。国としてこの非常時を切り抜けるためには、国内の経済活動を復活し、同時に感染の伝播を抑制することである。それにはPCR検査を増やして、陽性者を一定の期間隔離することが必要である。それにより非感染者が安心して経済を回すことができる。安倍首相は7月24日に、「現状では緊急事態宣言を出す状態ではない」と言っている。菅官房長官も「現在は重症者が少ないので緊急事態宣言は必要ない」と言っている。しかし、医療現場は逼迫しており、感染者数は連日急増している。はたして現状をよく把握しているのだろうか。政府はできるだけ危機的現状から意識的に目をそらしているとも考えられる。

4月30日、米ミネソタ大学「感染症研究政策センター」が、新型コロナに関する見解を記した報告書「COVID-19パンデミックの今後:パンデミック・インフルエンザから学んだ教訓」を発表した。それによると、COVID-19(新型コロナウイルス)の世界的大流行は、集団免疫が徐々に獲得されつつ、18〜24ヶ月間続くことが予測される。さらに、新型コロナが今後どうなるかについて、3つのシナリオを提示している。その中で「2020年春の第1波の後、2020年の秋か冬に大きな第2波が起き、2021年に1つ以上の小さな波が起きる。」という最悪のシナリオを提示している。

人類は新型コロナウイルスによる感染症と今後「数十年」にわたって共存していくことになる。これからは各人がウイルスに感染しないように心がけ、「新しい生活様式」を作り上げてゆくことが肝心と考える。

本稿は2020年7月31日までの国内での動きをまとめた。新型コロナウイルスによる感染者は世界中で毎日増加の一途をたどっており収束が見えない。今後も引き続き経過を追いかけていく予定である。