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訃報:特別会員の高橋道人先生が7月1日にご逝去されました

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7月の日本毒性学会の最中に突然の高橋道人先生の訃報を知らされました。

ただただ驚き、言葉を失いました。

高橋先生はいつもお元気で、体調を崩された時にも、むしろ笑い飛ばし、よりパワーアップされておりました。

2008年春に叙勲された際、式典のご様子など色々と楽しそうにお話しくださる高橋先生のお顔が、つい昨日のことのようによみがえります。

安全性評価研究会では、毒性病理、がん原性試験など、病理を専門としないメンバーにはなかなか理解しにくい領域ですが、いつも笑いを交えながら、とても丁寧に分かりやすくご講義いただきました。

一方、 “病理や毒性評価を理解するのに、一回や二回の講義で何とかなるものではない、安易な企画・講演ばかりでなく、きちんと継続して取り組むように“と時に厳しく我々の歩むべき道を示してくれました。

これらの高橋先生から頂いたひとつひとつが、我々にとって本当に貴重な財産です。

研究会が30年の節目を迎えるにあたり、高橋先生から頂いた教えを胸に刻み日々の研究活動を続けるとともに、次世代にも引き継いでゆければと思います。

改めて高橋先生に感謝の意を表すとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

安全性評価研究会

幹事長 鈴木睦

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謹んで哀悼の意を表します。

高橋道人先生が急逝されたことを北海道で開催された日本毒性学会の会場で知り、その時は、耳を疑いました。いつもであれば、学会会場でご一緒にブース巡りをしてグッズ集めを楽しんでいる頃でしたが、先生を会場でお見かけできなかったので、学会から帰宅したらメール連絡しようと思っていた矢先に訃報を知り、一瞬、言葉を失いました。その後、涙が溢れました。高橋先生のお茶目な笑顔が浮かび、涙が頬をつたいました。

高橋先生との最初の出会いは、20年以上も前の夏、奈川フォーラムでした。高橋先生は後進に対して、愛のある先生でした。奈川や原村で開催される夏のフォーラムでは、高橋先生の周りにはいつも人が集まり、宿泊先では笑いの絶えない歓談が夜遅くまで響いていました。奈川では明け方まで呑んでいたこともありました。若手よりも先生の方がタフでした。歓談の中で沢山の高橋語録(高橋先生の一流のユーモア)が生まれました。その一つが、若手にワインを取りに行ってもらったときに発した、「赤ワインでないと、あかんわいん(赤んワイン)」でした。若手を笑わせながら、若手が尻込みすることなく、諸先輩の方々と気軽に話せる雰囲気作りをされているのを私達は知っていました。この宿泊先での対話をとても大切にされていて、いつだったか先生が私に「いつも傍にいて教えてあげたいけれど、それはできないこと。この谷学は垣根を越えて人と人が出会い、若い人を育てる上でとても大切な必要な場所だよ。」と仰っていたことを覚えています。人と人が出会うことの大切さ、後進を育てることの大切さを教えてくださいました。

谷学でのフォーラムやセミナーでの対話のほかに、高橋先生とは「Casarett & Doull’s Toxicology 6th ed.」の翻訳本の作成で我々谷学メンバーはご一緒させていただきました。この総監訳者は、高橋道人先生、佐藤哲男先生、仮家公夫先生と野口英世先生でした。訳出のため奈川で合宿したときのことですが、かなり難しい訳もあり、若手がギブアップして自分の部屋に引き籠っていく姿を見る一方、いつもならば、夕食時にはビールやワインを楽しんでいる先生が、一滴も呑まずに、夕食後も果敢に仕事をされる姿を目の当たりにし、仕事に対する向き合い方を学び、心に刻みました。

高橋先生から叱咤激励の言葉も沢山いただきました。私が仕事に悩んでいたときだったと思いますが、先生から「これまで経験しているのだから、自分を過小評価も過大評価もする必要はない。今の仕事は与えられた運命だから、そこから自分を磨く。磨くには、どれだけ文献を読んでいるか。今の仕事の経験からこういう考え方もあると言えるように自分の仕事の延長の上で磨くこと。」と悩んでいた私の背中を押していただいたこともありました。ひとつひとつの言葉が、貴重な教えでした。

ご指導いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。これまでの教えを胸にこれからも前を向いて歩いていきます。谷学を大切にしてくださり、そして、我々を育ててくださり、ありがとうございます。心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

安全性評価研究会

本山径子 拝