谷学発!常識と非常識 第61話 睡眠とは何か⑤:レム睡眠の謎

レム睡眠(Rapid Eye Movement Sleep)とは、急速眼球運動(以下、レム)を伴う睡眠をいいます。レム睡眠には以下の特徴があります:①レムが発生する。②ノンレム睡眠に続いて現れる。③脳波は覚醒中の脳波に匹敵する程度に活発である。④骨格筋の脱力の程度はノンレム睡眠中よりもはるかに高い。⑤呼吸数、心拍数、血圧が上昇し、不安定化する。⑥殆どの場合夢を見ている(※1)。

レム睡眠は1953年に偶然発見されましたが、現在でもレム睡眠には多くの謎が残っています。

1.レム睡眠の調節メカニズム

レム睡眠は1晩に4-5回繰り返される約90分間の睡眠周期の中で、ノンレム睡眠の終了直前に、ノンレム睡眠をレム睡眠に切り替える役割を持つ細胞の働きにより始まります(※1)。1夜の睡眠では、レム睡眠は最初の1-2回の睡眠周期では短く、明け方の睡眠周期になるほど長くなります。

レム睡眠中は全身の骨格筋が著しく脱力しますが、これは脳幹の「青斑核」が下部延髄の「大細胞網様核」を介して全身の骨格筋を抑制することによります。実験的に「青斑核」を破壊されたネコはレム睡眠中の脱力が起こらず、夢を見ながら捕食、威嚇、逃避などの行動を「実演」します(※2)。

2.レム睡眠中に眼球が動く理由

レム睡眠時は呼吸筋を除く全身の骨格筋が脱力していますが、閉じたまぶたの下で眼球がキョロキョロ動きます。この急速眼球運動(レム)の最中のヒトを起こすと、殆どの場合「夢を見ていた」と答えるので、「眼球が動く理由は夢の中のシーンを目で追うためである」という仮説が生まれました。「レム睡眠行動障害」の患者たちの観察からこの仮説が正しいことが証明されたのは最近のことです。この障害を持つ患者たちは「青斑核」を破壊されたネコと同様に、レム睡眠時に骨格筋が脱力せず、夢を見ながら蹴る、叫ぶ、手を伸ばして掴もうとするなどの行動をします。この患者56人と、正常な被験者17人の睡眠時の眼球運動を電気的に連続記録し、同時にそのときの全身行動をビデオに記録して、眼球運動と全身行動との関係を調べた結果、全時間の90%で患者の視線が夢に伴う身体の動きと同期しており、患者が夢のシーンを目で追っていることが裏付けられました(※3)。

3.レムが起きるのは「夢の世界」を「真実の世界」と信じるから?

レムは夢のシーンを目で追う行為であることが分かりましたが、目を閉じて眼球を動かすことは無駄な行為ですから、ヒトはなぜこのような無駄な行為をするのか、という疑問が生じます。私見ですが、「ヒトは通常、夢の中の世界を現実の世界と思い込み、現実の世界でそうするように、夢のシーンを目で追うのだ」と考えています。この仮説には状況証拠があります。レム睡眠時に呼吸数、心拍数、血圧が上昇し、不安定化しますが、これはヒトが「夢の世界」を「現実の世界」と信じているため、現実の世界と同様にストレスホルモン等を分泌し、呼吸・循環器系をいわゆる「闘争か逃走か」モードに切り替えている証拠と考えられます。また、悪夢から目覚めたときに「ああ夢でよかった」と心から安堵するのも、ヒトが目覚める直前まで「夢の世界」を「真実の世界」と思い込んでいる証拠と考えられます。なお、ヒトが「夢の世界」を「真実の世界」と信じ込むのはなぜかについての説明も必要ですが、この問題は「ヒトは世界をどのように認識しているか」という根源的な問題に関わるため、 次の第62話の第5項で改めて取り上げます。

4.レム睡眠は必要か?

理化学研究所の上田泰己氏らは、遺伝子工学技術を用いて、マウスでレム睡眠に必須な2つの遺伝子(アセチルコリン受容体遺伝子Chrm1及びChrm3 )を同定し、前者はレム睡眠を、後者はノンレム睡眠を主に制御していることを明らかにしました(※4)。更に、両方の遺伝子を同時に欠損させたマウスは、レム睡眠量がほとんど検出不可能なレベルにまで減少することから、レム睡眠を引き起こすためには両方の遺伝子が必要であること、及び両方の遺伝子を同時に欠損させたマウスでも生存可能なことから、マウスの生命維持にレム睡眠は必要不可欠ではない、と結論しています(※4)。

一方、レム睡眠は必要とする報告もあります。筑波大学の林悠氏らは、光ファイバー照射法を用いて、マウスのレム睡眠だけを阻害しました。通常のノンレム睡眠中の徐波の強さはほぼ一定ですが、レム睡眠を阻害したマウスでは、ノンレム睡眠中の徐波の強さが徐々に減弱しました。光照射をやめてマウスのレム睡眠を元に戻すと、ノンレム睡眠中の徐波の強さも元に戻りました。また、無処置マウスにおいては、レム睡眠の長さと、それに続くノンレム睡眠における徐波の強さが相関していました。以上の結果は、レム睡眠が次の睡眠周期のノンレム睡眠中の徐波を増加させることにより、ノンレム睡眠中に行われている学習や記憶の強化に、間接的に貢献していることを示唆しています(※1)。

また、ヒトにおいて選択的にレム睡眠を阻害した実験では、レム睡眠が必要不可欠であるとの結論が得られています。この実験では、30分間睡眠、60分間覚醒というスケジュールを6日間厳密に守らせました。レム睡眠は通常入眠後60-90分以上経過しないと現れないので、このスケジュールではレム睡眠は殆ど取れないはずです。実際に実験の初日にはレム睡眠は殆ど観測されませんでした。しかし、レム睡眠不足が続くと、次第に入眠後すぐにレム睡眠が現れるようになり、レム睡眠不足のヒトは優先的にレム睡眠を取るように変化することが分かりました。これらの結果は、レム睡眠が必要不可欠であり、徐波を促すことで間接的に記憶や学習に関わっていることを示しています(※2)。

一方、海馬は記憶形成において重要な役割を担っていますが、レム睡眠中の海馬にはθ(シータ)波という6~10 Hz程度の低周波の脳波が観測されます。このθ波の発生をレム睡眠時にのみ光ファイバー照射法により抑制したマウスでは、空間や文脈の適切な記憶形成が阻害されました(※1)。すなわち、海馬もθ波の生成に関与することで、学習や記憶の定着に貢献していると考えられます。

5.レム睡眠中に各種の生理機能のシミュレーションが行われる

健康な男性ではレム睡眠時に陰茎勃起が起きます(※5)。この現象は幼児から高齢者に至るまで幅広く認められる生理的な現象であり、そのとき見ている夢の内容とは無関係です。勃起はレム睡眠の直前に始まり、レム睡眠中は継続して、レム睡眠の終了直前から萎縮が始まります(※5)。朝方は殆どの場合レム睡眠から覚醒するので、勃起状態で目覚めることも多く、その状態を俗に「朝立ち」と呼びます。「朝立ち」は勃起能力や射精能力を正常に発達・維持するための「性的能力のシミュレーション」であると考えられています(※5)。

レム睡眠中には他にも各種生理機能のシミュレーションが行われている可能性があります。例えば、上記第3項で、レム睡眠中に呼吸数、心拍数、血圧が上昇する現象を取り上げましたが、これも「現実の世界」で困難な状況に巻き込まれ、「闘争か逃走か」の選択を迫られた場合に適切に行動できるように、夢の内容に対応して、ストレスホルモン類を分泌して、呼吸・循環器系機能の維持・強化のためのシミュレーションを行っている可能性があります。

更に、困難な状況に直面する夢が多い理由を、夢の中で「現実の世界」における社会的な生存戦略のシミュレーションを行うためであると説明する仮説があります。これは、夢を見る理由に関する各種の仮説の一つとして、第63話で改めて扱います。

このあとの第62話では夢の定義と特徴を扱います。

(馬屋原 宏)

引用文献

1)日本生化学会:レム睡眠のメカニズムと生理学的意義、https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2017.890911/data/index.html

2)掘忠雄:『眠りと夢のメカニズム』、サイエンス・アイ新書2008)

3)日経サイエンス:http://www.nikkei-science.com/?p=16150

4)理化学研究所:https://www.riken.jp/press/2018/20180829_1/

5)日本睡眠学会:眠りの深さと生理機能の変化、http://www.jssr.jp/kiso/hito/hito05.html